今年は戦後70年 団塊世代以降は皆 戦争を知らない者だ
しかし団塊世代の父や母は戦争を体験しているが生き延びれた人たちである
当時の戦争の時代のことを思い浮かべれば現代の日本の社会は当時からすれば天国にも匹敵するような社会なんだろうなぁ
戦後70年 自分なりに 京都市と戦争でいくつか話をしてみようと思います
タイトルにあるように 「京都市には空襲があったのです」
今までの話では 当の京都市に住んでいても空襲があったと知るまでは京都市には空襲がなかったと思っていたのだから、京都市以外の人が 未だに「京都市には空襲がなかった」と思っていても仕方がないような気がします。しかし、そう思っている人も これからは「京都市には空襲があったと」知ってもらいたいです
おもに4回
1945(昭和20)年
1月16日 東山区馬町 死者41人、負傷者56人、 家屋140戸以上
香雪院 東山聖天尊 天台宗 ☜ 被害の様子
4月16日 右京区太秦
5月11日 中京区・京都御所
6月26日 西陣・上京区出水 死者 50人、負傷者66人
この日以降の空襲はなし、原爆投下目標になったためか
関心をもたれたら、ご自分で調べてみてください