多くの犠牲者を出した、太平洋戦争
戦後 70年 体験者から直接 話を聞くことのできる 貴重な番組です 証言者は
1000人ほどになっているのではなかろうか
まだ、一度も 見たことのない人は ぜひ お勧めします
生きる方向が見いだせるかもしれません
➡ クリックする 「 NHK 戦争 アーカイブス 」
多くの犠牲者を出した、太平洋戦争
戦後 70年 体験者から直接 話を聞くことのできる 貴重な番組です 証言者は
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神社から 150メートルほど 南にある 鳥居 と 灯篭
701年には 続日本紀に 神社名が記載されている 由緒 ある 神社だ 境内 配置図
2つ目の 鳥居 木製だ 拝殿 その奥が 本殿
拝殿の左後方に 3柱鳥居がある
お宮参りに 西陣 縮縮緬仲間 江戸時代のものだ
京都 三大 鳥居の1つ 3柱鳥居
次回神社記事 ➡ 神社右0002 三吉稲荷社 (さんきちいなりしゃ)
1945年(昭和20年) 3月から始まったアメリカ軍による無差別爆撃は、日本の都市を人口の多い順に180位まで番号を付け、住宅地を目標に焼夷弾を使い焼き払おうという作戦であった。地理的に爆撃が難しい都市(山岳地帯や距離が遠い都市)と原子爆弾を投下する予定のあった都市(広島・小倉・京都・新潟・長崎)等を除く64都市がほぼ人口の順に爆撃を受けている。 (出典 長岡戦争資料館のパンフより)
あなたの住まいの都市はどのような空襲にあったのでしょうか
まち歩きするときに使っています おもなエリアは路地や行き止まりまでものっていて しらみつぶし歩きには 最適の優れもの この地図帳から自分用に手書き地図をつくり、歩くたところにメモを書き込むように使っています
今年も 年間パスポート で 頑張るぞ 去年は ハプニングもあって もったいないことをしてしもうた
鳥獣戯画 展 超満員だった 秋の観光シーズンと重なったからだろうか
1回目の失敗 車で行ったのが間違い 駐車場 満車で 入れず
2回目の失敗 日曜日の朝、8時なら駐車場は空いているだろうと思っていたが満車で入れず
3回目の失敗 日曜日の朝、9時ならすいているだろう、交通機関を利用して行ったが、なんと 3時間待ちの長蛇の列 根負けして 新館の平成知新館で観賞しただけで帰宅した
京都国立博物館 ➡ ホームページ
フランク ダラボン 監督 作品 の 内の1本である
ショーシャンクの空に 1994年
グリーンマイル 1999年 見た
マジェスティック 2001年 見た
ミスト 2007年
絶望的な人生から希望を見出すことができた男の物語だ この映画もお気に入りの1本だ 少なくとも 10回は 見ている 当然 あらすじもわかっているのだが 飽きない
子供の時 毎週 欠かさず見ていた 月光仮面
記憶に残っているのは 劇場版(映画館)での出来事だ 映画が始まるとあの配役の字幕が出るシーン、月光仮面がバイクに乗って出てくるシーンだ 同時に歌が流れてくるのだが その歌に合わせて、映画館にいた子供らほとんど全員で大合唱していたことだ いまだに覚えている 懐かしいなぁ あのように みんなが燃えるような事って今はなかなかないな スポーツでそれに近いようなことはあるかな ヒーロー待望です
平成24年4月12日 撮影 京都市右京区
鹿王院
覚雄山と号し、臨済宗の寺院である。康暦2年(1380)、足利義満が春屋妙葩(普明国師)を請じて、この地に大福田宝幢禅寺を建立しその境内に春屋のため開山塔を建て、鹿王院と称したのが当院の起こりである。宝幢禅寺は、京十刹の第五に位し、近在の天竜寺、臨川寺と並び偉容を誇ったが、応仁の乱で焼失退転して、当院に合併された。寛文7年(1667)に至り、酒井忠知の子虎岑が当院堂舎を再興し、現在に至っている。仏殿(開山堂)には、本尊釈迦如来並びに十大弟子像、普明国師像、足利義満像を祀る。舎利殿には、源実朝が宋から求めたという仏牙舎利を納めた宝塔を安置し毎年10月15日に開廟される。寺宝としては、夢窓国師画像、明兆筆釈迦三尊及び三十祖画像など、多くの貴重な文化財を蔵する
鹿王院庭園
鹿王院は、康暦2年(1380)、足利義満が春屋妙葩を開山として創建した宝幢寺の開山塔所に始まります。室町時代に任庵主が作庭した名園がありましたが惜しくも廃絶し、現在客殿の南に広がる庭園は宝暦13年(1763)ごろの作庭です。舎利殿を中心に石組がなされており、背後はるかに嵐山が望まれます。天明7年(1787)刊の「拾遺都名所図会」に描かれる庭の鳥瞰図によると、当時からモッコク、モチ、カゴノキなどの樹木が配植されていたようで、現在これらは古木としての風格を備えるように至っています。昭和62年5月1日、京都市指定名勝とされました。 京都市
この 扁額 足利 義満 が 書いたものですと
参道 きれいに 手入れされている
一度 じっくり 庭園を 眺めてみたいものです
次回鹿王院の記事 ➡ 寺院右0001-2
次回寺院記事 ➡ 寺院右0002 広隆寺 (こうりゅうじ) 「太子さん」とも言われている