舌切茶屋
腰掛茶屋 清水寺の寺侍で、月照を庇い、六角の獄舎で舌をかんで自害した近藤正慎の遺族が営む茶屋。
幕末、幕府の追及をのがれるために、月照(清水寺の勤皇僧)が西郷隆盛とともに都落ちしたのは、安政5年(1585)9月11日だった。近藤正慎は伏見の渡船場まで見送った。近藤は幕府に捕えられ、翌月の24日に獄中での最期だった。捕えられた後は拷問が続き、もはやこれまでと最後の手段として牢屋の壁に強く頭を打ち付け、舌をかみ切るいうあわれな最期だった。43歳と清水寺の文献は伝えている。妻きぬ女は、まだ幼い市太郎と八重の二児をかかえて途方に暮れた。清水寺の好意で、境内に茶店を出すことを許され、やっとその日をしのぐことができるようになった。「清閑亭」と名付けられたこの茶店は、いつのころからか、正慎が舌をかみ切って死んだところから、「舌切り茶屋」と呼ばれるようになった。
4代目主人は近藤昭平氏。正慎の墓は、東山区祇園下河原清井の清竜寺にある。
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清竜寺
月照・西郷の密議の場所 ➡ 寺院東0358 清閑寺 2
寺院 前回記事 ➡ 寺院東0362 金剛寺 八坂庚申堂
五七五
たくわえは老後のためと老いた母 /巻淵
ことわざ
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