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寺院伏0402  北向山不動尊

2017年10月13日 17時30分44秒 | 寺院

 

天台宗の単立寺院で、一般に北向不動の名で親しまれている。

大治5年(1130)鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建され、興教大師を開山としたのが当寺の起こりである。本堂に大師が自ら仏師康助に刻ませた不動明王(重要文化財)を王城鎮護のため北向に安置した。そのため、上皇から北向山不動院の名を賜ったといわれる。久寿2年(1155)、播磨国(兵庫県)大国の庄を寺領として、藤原忠実が中興に当たった。その後、応仁の乱の兵火など、しばしば災害に遭ったが、幸い本尊不動明王は難を逃れた。朝廷の保護も厚く、近世に至って復興した。現在の本堂は、正徳2年(1712)、東山天皇の旧殿を移したものである。境内鐘楼にかかる梵鐘は二品済深親王の御名があって、元禄7年(1694)に名士名越浄味によって鋳造されたものである。京都市

当寺は古来皇室との関係がふかく、歴朝の尊崇をあつめ、そのための祈祷もしばしば行われるのを例とした。今でも1月16日の鳥羽上皇の誕生日には、大護摩が修められる。俗にこれを「一願の護摩」といい、当日参詣するものには1つの願いがかなうといわれる。また、鳥羽上皇の遺愛とつたえる老松があり、鐘楼は三条釜座名越浄味の作になる鐘がある。

幕末には勝海舟山岡鉄舟もこの寺に参詣し不動さんのご利益にあずかり額を寄進しています。

 この不動さんは片足を垂れておられます。鳥羽上皇が願をかけ願が成就したときに出てこられた姿そのままで刻んだといわれ半分立ちかけの姿です。この不動さんは秘仏で拝むことはできませんが護摩壇にある石の不動さんと同じ姿をしておられます。今までは天皇の代がかわるか、50年目にご開帳されていましたが、戦後は1年に一度1月16日に開扉されます。

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