霊宝殿
鞍馬山博物館。1階は自然科学博物苑で、鞍馬山中に棲息するモモンガ・ムササビ等の珍獣奇鳥をはじめ昆虫・岩石・植物等の資料、標本、模型等を展示している。
2階は寺宝展示室。経塚石造宝塔(国宝・藤原時代)は、昭和6年(1931)の春、本堂拡張工事の際、本堂背後の崖上に営まれていた経塚の標識として建立されていたもので、高さ84㎝、松香石製、古さに於いては石造宝塔中、わが国最古になる。
また、銅灯籠(重文・鎌倉時代)は高さ2.31m、ただし円筒形の火袋だけが正嘉2年(1258)の作で、表面に毘沙門天そのたの仏像を陽刻し、周辺に女性をまじえた多くの助成者の名が刻まれている。笠以下は元禄時代の補修による鉄製である。
坂上田村麻呂所用とつたえる黒漆剣(重文・平安時代)や戦国時代の武将の祈願文、書状等が展示されている。別室の与謝野記念室には与謝野寛・晶子夫妻の文箱・机・書籍・歌稿等が展示されている。旅を好んだ夫妻は、先代住職信楽香雲管長が同門であったよしみから、鞍馬もよく訪れた。昭和51年(1976)には東京荻窪にあった晶子の書斎「冬柏亭」が寄贈され、霊宝館前に移築されている。
3階の宝物収蔵庫には、鞍馬寺にとって最重要な仏像3体が安置されている。
毘沙門天および脇侍吉祥天・善膩師童子立像(国宝・平安時代)は一木彫、瞳に墨、唇に朱をさすほかは、彩色しない白木のままとしている。中尊の毘沙門天は等身、右手に鉾をもち、左手を目の上にかざして、鞍馬山から南の京都を望見する姿は、いかにも王城鎮護・北方守護の精神を具象化したものというべく、仏像彫刻中、傑作。
兜跋毘沙門天立像(重文・平安時代) 高さ1.67m、一木彫の彩色像、太り気味の体に山形の宝冠をかぶり、外套のような長い鎧に身をかため、腕は海老籠手をはめ、二鬼を従えた地天の差し出す掌上に立っている。兜跋毘沙門天とは唐の玄宗皇帝の頃、敵軍に包囲された安西城の楼門にあらわれ、敵を追っ払ったといわれ、これに因んで平安京造営に際しては、羅城門の楼上に安置された。鞍馬寺を創建した藤原伊勢人は造東寺長官をつとめていた関係上、羅城門上のまねて、北方の守護神として当寺に安置したもの。
観音菩薩立像(重文・鎌倉時代)高さ1.76m、寄木造り、玉眼入の彩色像で、頭は髻をたかく結い上げ、両手は胸の中央で蓮華を捧げ、知的なまなざしで前方をみつめる長身の姿は、憂いをこめた女性的な感じがする。藤原伊勢人がはじめ念願していた観音像とは、これであった。足ほぞに嘉禄2年(1226)大仏師肥後別当定慶作の墨書銘があるので、旧像の破損後、鎌倉時代になって模刻したものとみられる。