冥土へ帰る精霊を送るために行われる盂蘭盆行事の一つ。
足利義政がわが子義尚の冥福を祈るため、相国寺の僧横川景三に託して復旧せしめた。といわれるが、
定説では、実際は名もない民衆が戦没者のための鎮魂の火として、また疫病払いのためにと、戦乱の収まった江戸初期頃に創始されたものする。
点火にあたっては、浄土寺町の有志の人々の奉仕。
大文字の松火は将軍義政公が家臣芳賀命じ白布を山面に作らせ相国寺横川和尚が筆画を定め延徳巳西春義尚公が陣中でなくなりその開盆にめい福 ため始めた
大文字の碑は町出身戦没 17柱の慰霊碑です
昭和30年京都新聞社照合
大文字の中心は大本山相国寺御霊所に向かって正面
送り火は御霊所の正面を照らしている
衰微の時以外は旧家臣団及びその縁者が営々 送り火を奉仕しているのである。
古文書
大本山相国寺に一幅
東山銀閣寺に一幅
山道の途中の名水は中尾城跡の本丸より流れている水です
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