この一帯は、江戸時代を通して32万石の外様大名として因幡・伯耆二国を支配した因州鳥取藩の京都藩邸があった所である。
京都藩邸は、古くは油小路下立売にあったが、参勤交代で藩主が立ち寄るのは伏見藩邸であり、京都藩邸の位置づけは高いものではなかった。
幕末期、水戸徳川家から養子に入った最後の藩主池田嘉徳(よしのり・12代)は、15代将軍となった徳川慶喜の異母兄で、文久2~3年(1862~1863)頃、たびたび上洛して幕府と朝廷の間に立って周旋を行っている。
こうして京都の政治的な重要性が増したため、元治元年(1864)2月に鳥取藩は御所の西側、東堀川通中立売下ル東側において新たな京都藩邸の工事に着手、同年4月21日に上棟している。藩邸の西側は東堀川通、北側は中立売通、東側は油小路通、南側は上長者町通に面し、正門は油小路通に位置していた。当時の絵図面によると敷地は3932坪であった。
ここ因州鳥取藩京都藩邸跡は、幕末動乱期における鳥取藩の政治的立場を偲ばせる場所である。京都市
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