小塩山 山頂にある
淳和天皇は桓武天皇の第3皇子として延暦5年(786)に降誕された。母は贈皇太后藤原旅子。兵務卿・中務卿などを経て、弘仁元年(810)薬子の変後に嵯峨天皇の皇太弟となり即位された。詩文を好み、在位中、『経国集』や『令義解』等を撰進せしめられた。承和7年(840)5月8日、淳和院にて崩御。
宝算55歳。同月13日、乙訓郡物集女村にて火葬し、遺命によって山陵を築かず、遺骨は粉砕し、大原野の西の山嶺上に散布せしめられたという。
この地は古くから経塚または清塚といわれ、小石を積み重ねた円墳が5つばかりあったが、幕末に至って現陵を考定し、塚の上に土を封じて円墳に修復された。正しくは大原野西嶺上陵と号する。
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