春光院
もとは俊厳院(しゅんがん)と称した。豊臣秀吉の家来で、後に初代松江城主となった堀尾吉晴(ほりおよしはる)が、18歳で戦病死した長男・金助の菩提を弔うため碧潭和尚(へきたん)を開山として、天祥18年(1590)に建立した。堀尾家三代目の忠晴が病死し、間もなくして断絶したが、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之が代わって壇越となり中興してから寺名も春光院と改めた。本堂には堀尾夫妻と金助の像を安置し、境内墓地には堀尾家一族の墓がある。
方丈西庭の常盤の庭は堀尾吉晴の作庭といわれる。また、さざれ石の庭と呼ばれる方丈前庭は、伊勢神宮を表現した枯山水の庭園で、石川氏の伊勢神宮崇拝の厚さをよく表している。
方丈には5室にわたって金地著色「芦雁図」を中心とする87面の京狩野派の障壁画がある。狩野永岳の筆とつたえる。書院には土方稲嶺(ひじかたとうれい)筆「波図」「松図」等の障壁画がある。
方丈東にある銅鐘(重要文化財)は、表面に1577の西暦とHIS(イエズス会の紋章)が鋳出されたヨーロッパ風の鐘で、寺伝によると、もとは四条姥柳町にあった南蛮寺のものと推定され、当院へは嘉永7年(1854)に移されたという。初期キリスト教を今に伝える貴重な遺産である。
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