一言神社
『岩倉村誌』(1905年)によると、祭神は一言主[ひとことぬし]大神。『岩倉村誌』によると「由緒
勧請創立年月不詳」ですが、一言主神社の総本社(奈良県御所市)が賀茂氏の本拠地の高嶋神社近くにあるので、賀茂氏の移動に伴い、一言主神をまつる人たちがこの地にやってきて、まつるようになった可能性が高いと思われます。地元では願いを一言だけきいてくれる神として親しまれています。
一言神社は今では石座(いわくら)神社境内にありますが、元はここから南東約150mの正水山(しょうずやま)にありました。元の社殿は、後水尾天皇の娘で岩倉の万年岡茶屋に住んでいた女三宮が寛文8年(1668)に再営したものです。明治11年(1878)に石座神社境内へ遷座。
その後も正水山にこの石碑が残されていましたが、村松団地の建設に伴い、昭和48年(1973)にここへ移されています。10月23日に近い土曜日に行われる祭りの時、一言主神をのせた子ども神輿が朝5時20分頃にここまで来るのはそのためです。文久2年(1862)~慶応3年(1867)に出仕を禁じられて岩倉上蔵に住んでいた岩倉具視がしばしば参拝したのは、村松にあった頃の一言神社です。岩倉具視は一言神社のために二反(六百坪)弱の田を購入し、収穫米のうち二石(300㎏)を一言神社の維持にあてるようにしました。また石座神社内の現社殿の前には岩倉家から奉納させた燈籠がたてられています。
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