妙覚寺
南北朝時代の永和4年(1378)竜華院日実上人が信徒の小野妙覚の援助によって
創建した日蓮宗の寺で、三具足山と号し、日蓮宗三具足の1つである。
はじめ、四条大宮にあったが、文明15年(1483)に二条衣棚(中京区)に移った。
天正10年(1582)織田信長の嫡子が当寺に宿泊していたために明智勢に攻められ、
信忠は自害し、寺も焼亡した。
翌年秀吉の市区整理によって現在の地に移った。
文禄年間(1592~96)日奥上人は不受不施説をとなえ、
東山大仏落慶の千僧供養にも加わらなかったことは有名である。
現在の建物は多くは天明の大火後の再建によるもので、
大門は天正18年(1590)に秀吉の聚楽第の裏門を移したものといわれる。
墓地は境内の西北隅にあって、狩野元信・永徳の墓をはじめ狩野家一族の墓
や楽焼家元の楽家、茶人久田家一族等の墓がある。
狩野元信之墓
明治35年10月