![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9e/1b2377a4df92f9f8e92cc8639780a1ec.jpg)
宝塔院は、本殿の東側に、平安時代以降明治初年まであった天台密教系の仏塔で、平安時代中期の万寿年中(1024~28)にはすでに建てられていました。軒の四隅に風が吹くと鳴るような琴がかけられ、「琴塔」とも呼ばれていました。江戸時代の設計図によると方形の二重の塔は、天台宗の「大塔」の様式で、現存する例は日本に1つしかありません。明治の初めに神仏分離令によって取り除かれ、基壇の中央に参道が通されました。今も参道の両側に、柱を支えた礎石が残されています。
本殿の西側には真言宗の大塔もあり、密教の別宗派の2種類の大塔が、同じ境内に本殿と共に共存していたことは、石清水八幡宮の神仏和合の精神をよく表しています。
江戸時代後期に描かれた宝塔院
慶応2年(1866)に描かれた宝塔院と大塔
軒から下る琴が描かれている
史跡 前回の記事 ⇒ 史跡向日064 物集女城跡
関連記事 ⇒ 49 八幡 地区 記事検索一覧 その1
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます