観世音尊像
弥陀次郎尭円居士
安養寺
南 伏見向島 一里
八幡町 一里
昭和3年 京都 三宅安兵衛 遺志建立
北 淀町 十町
浄土宗知恩院派、紫金山と号し、建久3年(1192)弥陀次郎尭円(ぎょうえん)の開創と伝わる。
弥陀次郎は一口の漁民で、生まれつき放縦にして、殺生を好んだ。故に世人は彼を゛悪次郎゛と称した。ところがある日、一人の托鉢僧の←左頬に焼火箸をあてて追い払ったが、僧は少しも怒ることなく無言で立ち去った。不審に思い、僧のあとをつけて行くと、それが粟生光明寺の釈迦如来の化身であることを知り、深く懺悔の思いをした。その夜また霊夢を見て、淀川神ノ木の淵(伏見区淀町付近)にて一体の11面観音立像を引き上げた。これを小堂に安置したのが当寺の起こり。
それより悪次郎は前非を捨て、熱心な念仏修行者となったから、世人は「弥陀次郎」とほめたたえた。没年は貞応元年(1222)、齢は70または80とつたえる。現在本堂に安置する本尊11面観音立像は、弥陀次郎が感得した像といわれ、常は秘仏となっているが、3月18日の春祭には特別に開扉される。
因みに、弥陀次郎伝説は巨椋池周辺に多く、宇治五カ荘の西方寺もその1つ。
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