西遊寺
当山は、普現山 聖善院 西遊寺と称し、行基大僧正ゆかりの橋本寺を起源とする。開山上人は感譽上人で、小田原城主北条氏康の次男である。元亀元年(1570)氏康公の命により上洛して此の地が法然上人八幡宮参篭の由緒地橋本寺に留まり天正元年奥橋本山から現在の地に当山を移し創建した。当山二世欣誉上人は師の西国遊歴の縁起により寺号を西遊寺と改められた。三世救誉上人の代になって、慶長5年5月、徳川家康より朱印五石三斗を給わり法灯盛んとなって別格本山として末寺9ケ寺を擁するようになった。秀吉公が天王山で明智光秀と戦った山崎合戦の折この地に立ち寄りお茶を所望したところ湯ばかり沢山出したので湯沢山茶久連寺といったと伝えられている。
八幡市指定文化財
木造天部形立像(伝帝釈天立像)
平安時代(10世紀前半)の作 像高148cm
本像は、西遊寺観音堂に客仏として安置されているが、もと男山の地主神社であった狩尾社に付属する帝釈天堂に伝来し、明治11年(1879)神仏分離令に伴う廃仏毀釈によって西遊寺に移坐された。
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