滋野井の井桁
この地は、平安初期の公卿滋野貞主(しげのさたぬし)(785~852)の邸宅跡である。(現在の下立売通南、西洞院通西、椹木町通北、油小路通東の地)。敷地内の清泉は都七名水の1つとして知られ「滋野井」と呼ばれた。貞主は、漢詩人として知られ漢詩集『経国集』や『秘府略』(一種の百科事典)を編纂撰進した人物で、温雅で度量広く、仁明天皇の信任も厚かった。
その後この邸宅は「蹴聖」と称された蹴鞠の達人大納言藤原成通(なりみち)(1097~ 没年不詳)のものとなる。「成通卿口伝日記」によると、成通が蹴鞠上達を願って千日間の練習を誓うと、その満願日に鞠の精が三匹の人面猿身の姿となって現れ、蹴鞠の法を伝授したと記される。後に、後鳥羽上皇はこの鞠の精を「精大明神」として祀り、滋野井のほとりに祠をつくったと言われる。現在も精大明神は蹴鞠の宗家でもある飛鳥井家跡に建った白峯神宮に、地主社として祀られている。この井桁は滋野井として伝承された井戸の井戸枠で、江戸時代に作られたものと思われる。この地の元滋野中学校の校歌に「滋野井の泉のほとり集いよる」と謳われるなど、地域の貴重な遺産として受け継がれてきた。滋野井の井桁は、地域住民の尽力によってここに保存された。
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