この地は江戸時代、東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたっていました。
追分町の名は、このような街道の分かれ道で、馬子が馬を追い分けることから
出たものです。
なお、江戸時代、付近の街道沿いには、髭茶屋町、南北追分町の
三か町が並んでいました。
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今日の俳句
高原や 暁より飛べる 赤蜻蛉 /若沙
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追分町の名は、このような街道の分かれ道で、馬子が馬を追い分けることから
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