宇賀神社由緒
当神社は宇賀之御魂神を主神とし、天照大神を奉祀しております。山城名勝誌に「宇賀塚は九条の南、東桐院東、宇賀辻子(現存の札ノ辻)にあり、土人云う判官塚の一町ばかり南なり」と誌されてあります。
また、陶原月輪両槐門図に「昔 藤原鎌足公(1300年前)がこのあたりを遊猟中に金璽を得、後世この辺りに都が遷されて我が子孫亦繁富することを予知して、この金璽を蔵めたのが今の宇賀塚である。」と記載されてあるのをみても、宇賀塚(宇賀神社)の由来は飛鳥時代や大津の宮のころのものであって、京都の数多い神社の中でも極めて歴史の古いものであります。祭神の宇賀之御魂神は五穀の神、産業の神であって、繁栄、福徳を招来し給う東九条唯一の産土神として、古くから崇敬を集め、護持継承されてきましたが、現今商売繁盛、家内息災、学徳成就、芸能上達、交通安全等に霊妙神通、霊験あらたかなものがあると信じられています。なお、当社の例祭は毎年9月に盛大に執り行われます。境内の大椋、銀杏の老木は樹齢500年を超え、大椋は「京都市の巨樹銘木」及び「京都市保存樹」に銀杏は「京都市巨樹名木に指定されています。平成23年7月吉日 宇賀神社敬神会
東邦砥石株式会社 大正13年(1924) 京都研磨砥石株式会社を設立
昭和6年(1931) 社名を東邦砥石株式会社に改称
昭和11年11月 奉納の絵馬
俗に「宇賀塚」といい、もとは葭の生えた沼中の小島とつたえ、「判官塚」とともに東九条に散在する古墳の1つである。
本殿の右には、雷が石に化したという雷石(小隕石)がある。
椋の木
こちらは 銀杏の木
神社前回の記事 ⇒ 神社南0146 新宮神社
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