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わが子と過ごした乳児期 参考用

2024-09-10 07:49:02 | 日記

私は、わが子が1歳まで、自宅で過ごしていました。

実は、わが子は完全母乳でした。

確かに産婦人科で、

「母乳のほうが費用も安いし、栄養価も高い」

など言われていましたが、

誰も代わってくれない夜中や

睡眠不足の時は、大変でした。

ミルクを作ったのは、記憶があるのは3回。

哺乳瓶や消毒道具なども、

用意しましたが、3回しか使っていません。

私が睡眠不足で母乳が出なくなった時ぐらいです。

初めて哺乳瓶をわが子に口にくわえさせたら、

すぐに口から離し、プイっと顔を背けられました。

大き過ぎるのがいけないかと思い、小さい哺乳瓶に変えたり、

乳首を交換してもだめでした。

睡眠不足の時、母乳は出ない。

ミルクを飲みたがらないわが子は泣き叫ぶ。

本当に地獄でした。

ずっと抱っこをしていないと泣くので、

腱鞘炎になり、バンテリンを塗っていました。

 

確かに費用的に見れば、母乳は安く済みます。

でも、食べ物に気を使ったり、

※この頃インスタント食品を一切口にしていません

どこでも飲ませれる半面、

人前では無理なので、

外出先では場所探しが大変でした。

授乳クッション、重宝しました。

 

オムツは完全に紙おむつでした。

まだわが子が生まれたころは、

外出だけ紙おむつなんて言う、

すごい方もいらっしゃいました。

あの頃、朝ごはんと晩ご飯を25日以上入力すれば、

VISA商品券4000円プレゼントと言うサイトがあり、

毎日せっせっと入力し、

商品券を毎月受け取っていました。

おむつ代は商品券の使える

ホームセンターで良く購入しました。

おむつ代の手出しは、あの頃はそんなにありませんでした。

 

少し大きくなると、子育て支援に行くようになりましたが、

あの当時は月に1回程度しかなく、

行く日がとても楽しみでした。

わが子も他の子どもと遊ぶのが楽しそうでした。

この頃、仲良くなった人とは、

今でも付き合いが続いていますが、

中には最初同居していた人などは、

引っ越してしまった人もかなりいます。

 

離乳食も全部手作りでした。

外出の時は、手作りをタッパーに入れ、

それを食べさせていました。

実母が野菜を作っていたので、

野菜をよく使った離乳食を作りました。

最初はあまり食べませんでしたが、

徐々によく食べるようになりました。

わが子は、あんかけが大好きで、

よく食べていました。

 

手作りをしていて何が良かったのか?

やはり一番は費用面ですね。

今ほど、あの当時は、ベビーフードの種類もなかったこともあり、

今よりも高価なイメージがありました。

買うのは贅沢だと思い、手に取っても、売り場に戻していました。

今でも好き嫌いが少ないのは、色々な食材を食べさせていたからかもしれません。

子育て支援で、

「ベビーフードばかり与えていたら、

 おかゆを食べなくなった」

と、中学の家庭科の先生のママさんが話されていました。

忙しいので、ついつい与えていたら、

食べなくなったみたいです。

保育士さんが、

「やはり市販品はおいしく出来ていますから、

 味気のない手作りはなかなか食べたがりませんね」

と言われていました。

わが子は、私が働くようになってからも、

幼児食もすべて手作りでしたね。

こうしてみると、あれ?

私結構頑張っていたじゃないかな…

 

ただわが子、今でもそうですが、

麦茶を飲みません。

ずっと飲み物は水です。

こればかりはうまくいきませんでした。

 

ずっと言葉を発しないわが子といるのは、

ある意味退屈との戦いでしたが、

子どもが生まれたら、手作りをしようと考え、

実行出来た時期でもありました。

そして意外にも、この時期は、外出が少なかったので、

貯金が出来た時期でもありました。

 

わが子ももう18歳。

こうしてみると、大きくなりましたね。

 

 

 



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