たび・旅・ふたり旅―岬便り

旅したいろいろな記録や日常のあれこれを綴ります。

四国の友に逢いに-その2

2013年07月24日 | ko-ichiに捧ぐ

河童さん撮影:見の越し駅リフト乗り場

山へ登る

私が久々の山歩きであることを考えて

河童さんが選んでくれたのが四国の名峰 剱山。


この日のために

数日前から山靴で歩いたりして

慣らしてきたけれど

やっぱり途中までは

リフトを使っちゃいます。

足腰の調子が悪くなって

一緒に歩いてる私にも負担がかかるのを

実はよく経験しました。


もしかしたら、河童さんをリフトに乗せた

数少ない同行者のひとりかも?


リフトの西島駅を降りてからは森の道。

森が開けたときに見える幾重にも重なる四国の山々は

どこまでも続いていて

これまで見てきた景色とはまた違う。

剣山 森の道
剣山から眺める四国の山並み

後ろで撮影しながら歩く河童さん、

ふと振り返るとこんなおどけたポーズ。

おどける河童さん

歩きながら山の事、土佐の事、河童さんとtochikoさんの事、

そしてko-ichiの事、色々・・・。

見識の広い河童さんの話は尽きません。

剣山中腹

「おーい、来たよぉ。そこにいるの?」

そっと語りかけてみた。

おーい、来たよぉ。そこにいるの?:河童さん撮影

この時、既に17時を回って。

まだ明るいのでゆったり歩きます。

剣山からの眺め

鳥居が見えてきたら

剣山本宮の鳥居

頂上ヒュッテに到着。

剱山頂上ヒュッテの看板

そこには河童さん馴染みの温かく迎えてくださる

人たちがいました。


四国の友に逢いに-その1

2013年07月24日 | ko-ichiに捧ぐ

瀬戸大橋からの眺め

ずっとずっと

一度は訪れてみたかった四国。

そして、土佐の河童さんからは

以前から熱いお誘いを

受けてもいました。






職を得て岬での生活も落ち着き始め

貴方も軽やかな身となったし

「行ってみるかぁ」

そんな声が聞こえてきました。


ko-ichi が愛用していたシャツを着て

いつも持っていたデジカメ、お守り

そしてko-ichiの写真を携えて

久しぶりのザックの重さを感じながらの

旅立ちです。

ko-ichiの山シャツと写真

はじめまして

ブログを通して随分前からやり取りは

させていただいていたけれど

お顔を合わせるのは初めて。

ドキドキしながら駅に着くと、

白いランクルに乗った河童さんが出迎えてくれました。

降りた駅は「大歩危(おおぼけ)駅」。

この駅のすぐ目の前にあるスーパー

「歩危(ぼけ)マート」の名前に笑って

楽しい会話から旅は始まったのです。


父と母と息子と

2013年01月27日 | ko-ichiに捧ぐ

富士桜自然墓地公園

1月26日は義母の納骨日でした。


ko-ichiが亡くなってから1年を目の前にした

12月のある日、97歳の命を全うしました。


子供の頃や大人になってからも色々あって

私から見ても何だかギクシャクしているような母息子で

ko-ichiの生前は数えるほどしか義母に会った事がありませんでした。


それでもko-chiががんを宣告され、

手術をした時には心配して電話をくれ、

もういよいよ危なそうになった時には

義姉に付き添われて病院にお見舞いにも来てくれました。

その間も孫である娘達に度々様子を聞いていたという事も知りました。


ko-ichiはそんな母の事をどう思っていたのか、

今となっては知る由もありませんが

亡くなる十数日前のある日

「今日はおふくろの誕生日だな…」

とぽつりと言ったことがありました。

1月11日だったのです。


宗教に対する考え方も違ったのでお墓も別々だけど

そんなことは超越して、先に逝った義父と3人で

今頃は親子仲良くやっていることでしょう。


青空に向かって目を閉じると

そんな光景が瞼に浮かんでくるのです。


母と暮らす

2012年06月17日 | ko-ichiに捧ぐ

朝日の昇る風景

Ko-ichiが旅立って間もなく

自分の中から自然と湧き出た想い。


それは、

「母と一緒に暮らそう」

というものでした。







潮岬灯台

昨年末、父が亡くなりひとりとなってしまったとき

心細そうにしていた母。

私に共に住んで欲しがっていたようでした。

朝日を受ける花

ko-ichiも生前に

私がひとりになったら

「お袋さんと一緒に住んでやったらいいんじゃないか」

と言っていた。


その時は軽く受け流していたけれど

病を得た身になって、

病院に寝たきりの父に付き添う

高齢の母の心中を察していたのかも知れません。

トキワツユクサ

私もko-ichiの事があって、

もうこれ以上大切な人に寂しい思いをさせたくない

と切な願いが湧き上がり、

それにまた、新たな地で新しいスタートを切りたい

そうも思いました。

潮岬

ko-ichiが教えてくれたことを胸に刻み、

来年一周忌を終えてから

この和歌山の地に降り立ちたいと思う。

海原を飛ぶ大鳥

これでいいよね。

海原を飛ぶ大鳥

「nobuが決めたことだろ。

信じたとおりやればいいよ」







そう言ってくれてるかな。


鼓童に会いに花の島へ-その2

2012年04月29日 | ko-ichiに捧ぐ

佐渡の海岸

さて、公演から一夜明けた翌日。

今日は夕方の船までどらさんと

佐渡の島めぐりでもしますか。


島めぐり

沢崎灯台に来ました。

穏やかな海が広がって

気持ちの良い青空と溶け込んで。

沢崎灯台

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佐渡 沢崎鼻からの眺め

山梨の大木。日本一だそう。

見事に咲き誇っていました。

山梨の大木

芸能に触れる

鼓童を聴きに佐渡まで来たのだから

太鼓に触れてみたいと

佐渡太鼓体験交流館に来てみました。

ここには鼓童で使われたいろいろな種類の太鼓があり

実際にたたかせてくれたりします。

佐渡太鼓体験交流館で

鼓童のスタッフさんが親切にいろいろ教えてくださいました。

佐渡太鼓体験交流館

太鼓をたたくのって結構気持ちの良いものです。

佐渡の風景

佐渡の道を走っていると、こんなにいい風景も♪

佐渡陶芸館

泊まった宿「花の木」のご主人は陶芸作家 渡辺陶生さん。

その渡辺さんを始め、佐渡で活躍する作家さんたちの

作品が展示してありました。

本間能舞台

佐渡は能舞台の多いところ。

世阿弥を始めとした都人が流され、

そういった人たちが都の伝統文化を

この島にもたらしたらしい。






前回2004年のアースセレブレーションに

来て以来だから8年ぶりの佐渡。

もうそんなに月日が経っていたなんて。

でも、人の心は変わらず、

温かく迎えてくださって。

また、佐渡の地も。

そして、お付き合いしてくれたどらさん、

ありがとうございました。

鬼太鼓の銅像

また来たいね。