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たび・旅・ふたり旅―岬便り

旅したいろいろな記録や日常のあれこれを綴ります。

鼓童に会いに花の島へ-その1

2012年04月28日 | ko-ichiに捧ぐ

鼓童 佐渡特別公演

ko-ichiが旅立って

2月も後半のある日

ふと目に留まったこの案内。

佐渡へは鼓童を聴き

によく行ったっけなぁ~、

公演も一時は東京でもよく行った

なんてぼんやり思ってた。

そんなこと考えているうちに

急に佐渡へ行って

聴きたくなった、

思い出に浸りたくなってきて。


どらさんを誘う

かと言って、一人で行くのも寂しいし。

ブログに度々コメントを寄せてくださる

どらさんがくださったメールに

「落ち着かれたら旅に出ましょ」

と書かれていたのに期待してお誘いしてみたら

了解してくださった。


佐渡へ

上野駅から上越新幹線ときに乗って

新潟へ向かう。

上野駅ホーム

佐渡汽船の新潟港で初めての顔合わせ。

お互いすぐに分かりました


船を待つ間、そして両津港に向かって走る

ジェットフォイルに乗ってからも

ふたりでいろんな話をして。

そうしている間に、山に雪を頂いた

佐渡島が見えてきました。

ジェットフォイルの窓から佐渡島が見えてきた

両津港に到着。

ジェットフォイル、両津港に到着

車を借り、この日泊まる宿にいったん荷物を置き

早速宿根木に向かいます。


鼓童 佐渡特別公演

宿根木はかつて北前船の寄港地としても栄えた地

そんな場所に建つ宿根木公会堂は

芝居小屋としても栄えたそう。

宿根木公会堂

『佐渡乃國 鼓童』と染め上げられたのぼりが

観客を出迎えてくれました。

『佐渡乃國 鼓童』と染め上げられたのぼり

演奏が始まったらko-ichiと聞いた懐かしさが

込み上げてきて感極まりました。

それに楽しそうな顔をして

会場の上の方で一緒に聞いているような気がして。


数年前聴いたあの日あのままの鼓童の演奏。

身体全体に響く太鼓の音、優しく心に染み入る歌声。


終演後は鼓童の若き研修生たちが

お見送りに演奏してくれました。

鼓童研修生のお見送りの演奏 鼓童研修生のお見送りの演奏
鼓童研修生のお見送りの演奏

ko-ichiの従妹ということで親しくさせていただいている

鼓童の藤本容子さんと吉利さんも傍に来てくださって。

藤本吉利さん、どらさん、nobu、藤本容子さん

みんなこうしてko-ichiとのご縁で

つながっているんだなぁと実感しています。


つづきます。


心の復興

2012年03月24日 | ko-ichiに捧ぐ

梅の花

気が付いたら庭の梅の花が咲いていました。

今年は寒さが長引いていますね







でも、季節はどんなときにも

めぐっていくもの。

あるとき湯島天神に惹かれて

寄ってみたらここでも

たくさんの梅の花。

湯島天神

先日の3月11日近くには

1年前の震災から復興の様子が

たくさん報道されていました。

当時の震災の様子を見るのは

1年経った今でも胸が痛みます。

湯島天神

加えて、あの日あの時揺れにおののき

その後のTV報道を呆然と一緒に見ていたko-ichiが

今はここにいないという事実がさらに

私には悲しくて。

オオイヌノフグリ

でもね、今まで馴染みの無かった仏教に

こんな考え方があることを

ツイッターのある友だちから教えていただきました。

野の花

人は亡くなると太陽や月や風のような大きな存在

あるいは、花や蝶や鳥などの小さな存在となり

いつも見守っていてくれるのだと。



今朝、この春初めての鶯の声を聴きました。



いつもなら自転車で通り過ぎるのを

雨だったのでたまたま歩いていたところに



「ホーホケキョー」

「ケキョケキョ」



と、とてもいい声でした。



もしかしたらko-ichiが

春を知らせに来てくれたのかな。



今はまだ悲しい時が多いけれど

その中から少しでも明日の事を考える

次の事を考えるようにしよう

そうすれば、少しずつ元気になれるかもしれない

と、また、ツイッターのこの方が教えてくれました。



「人生が不幸だ」と考える人の多くは辛い過去の経験を元に「私はずっと不幸だったから今も不幸なのだ」と現在の辛い事を悲観します。

「幸せだ」と思う人は自分の理想の未来を元に現在、辛い事があっても「理想の未来の為に必要な事だ。この事を将来笑える日が来る」と考えます。

? 松田 寿一さん (@juichi7) 3月 21, 2012





私も、心の復興。

少しずつ。


そろそろと

2012年03月06日 | ko-ichiに捧ぐ

2012年2月29日早朝の都内雪景色

先日は東京も大雪になり

まだ春遠しという感じでした。













枝に咲いた雪

でも、翌日ふと足元に目をやると

もうそこまで春は来ている。

チューリップの芽

菜の花やスミレたちも

菜の花スミレ

早いものでko-ichiが逝ってから1か月と数十日。

そして、もうすぐ四十九日です。



ノートに綴られた日記を見るともなしに見ていたら

あのマイ ウェイを綴ったページを見つけました。

ノートに綴ったマイ・ウェイ

200年1月25日~4月9日の日記ノートの

いちばん最後のページに。



ko-ichiが前年の暮れ直腸がん告知を受けて

その手術のために入院した1月25日から始まるノート。

近いうちにこういう日が来るかもしれないことを考え

今までのありし日々を重ね

マイ ウェイの訳詩に自分の想いを注いだのかもしれません。



このブログのタイトルは

「たび・旅・ふたり旅」



これまでふたりであちこち本当に

いろんな旅をしてきました。

いつまでもko-ichiは私の心の中で一緒です。

だから心の中の彼とふたり。

私の旅にお付き合いくださるあなたとも。





そして春になったら、また、旅に出ます。

ko-ichiの愛した彼の地、彼の音楽を聴きに。

鼓童


記念碑

2012年02月17日 | ko-ichiに捧ぐ

城山川

とてもお天気のいい2月初旬のある日

ko-ichiの入るお墓を見に行きました。

時間があったので

高尾駅から歩いてみる。

こんな青空の下、

よくふたりで歩いたことを

思い出しながら、

心の中でko-ichiと話しをしながら



ko-ichiには私との間ではない

ふたりの娘がいるのですが

その娘達とああでもないこうでもないと言いながら

あの人好みのいい[記念碑]が選べました。

墓園

ところでko-ichiの好きだった歌、マイウェイ

和訳を書いた紙切れをお財布の中に見つけました。

岩谷時子さん訳詩のを自分なりにアレンジしたのか

少し違うのだけれど、何だか想いが蘇るようで。

ここにこの歌を捧げます。



マイ ウェイ

やがて私はこの世を去るだろう

長い年月私はしあわせに

二人旅して今日まで歩いてきた

いつも私のやり方で



心残りも少しはあるけれど

自分がしなければならないことならば

できる限りの力で生きていこう

いつも私のやり方で



あなたは見てきた私の生き方を

残された時間を大事に過ごそう

いつも二人のやり方で



人と知りあい君と知りあう

出会った頃から二人で旅をした

だけど私は一度もしてはいない

くいが残る旅だけは



人は皆いつかはこの世を去るだろう

それまで自由で楽しく暮らそう

それが私の決めた道


ko-ichiは祭り男だった

2012年02月06日 | ko-ichiに捧ぐ

祭り姿のko-ichi

私と結婚するずっと前、

祭りの時期になると

どこかで神輿を担いでいたお祭り男だったそう。

祭りの事になるといつも熱く語っていました。

神輿を担ぐko-ichi

だから、旅立ちの日には

この祭り半纏を着せてあげました。

すっかり痩せてしまった体には

でも、その姿がちょうど写真のような

若い頃に戻ったようで。

神輿を担ぐko-ichi-2

とってもよく似合ってました。





今頃はどこにいるのかな。



エイサー、ホイサーと空を駆け上がってるかもね。