たび・旅・ふたり旅―岬便り

旅したいろいろな記録や日常のあれこれを綴ります。

お猿と紅葉の渋・湯田中温泉-その1

2006年11月30日 | 温泉&ハイキング

一度訪れてみたかった<渋・湯田中温泉>。最近はTVや雑誌に取り上げられて話題にもなっていると聞き、期待は高まります。ただ、お互いちょっと風邪気味だったので、無理をしない。

ここのところ、温泉&ウォーキングな旅が続いていますが、一緒に旅する気分でお付き合いくださいね。
(^-^)

◇◇アクセス&あしあと◇◇
●11月18日(土)  [東京]+++新幹線 あさま+++[長野]+++長野電鉄+++[湯田中]==志賀高原:バス&歩き==地獄谷野猿公苑
---旅館泊
●11月19日(日) 旅館---一茶の散歩道 :一茶堂、世界平和観音---[湯田中]~帰路:往路と同じ

長野電鉄の急行列車長野電鉄

長野から湯田中行きの長野線 急行に乗って向かいます。どこか懐かしいつくりの列車の中、最前列に私が乗っているのが分かりますか?
長野電鉄のキップ
これは帰りのキップ。いまどき珍しい、硬券。

湯田中駅

志賀高原

湯田中駅から見える山。紅葉が残っていて何だか嬉しい。

まだ時間があるので、すこし歩こうと、ここからバスに乗って、志賀高原方面へ向かいます。

いったん、<木戸池>で降りてみる。
志賀高原といえばこれからは何といってもスキーです。でも、まだシーズンに入っていないせいか閑散としていました。

そ・れ・に・し・て・も、お腹が空いてきた m(T_T)m

志賀高原から見える山々もう時間はPM1時半。バスを降りたところでどこか店が開いているだろうと思っていたら、これがまたまた甘かった・・ (いつものことです)。orz

しょうがないから、持ってきた非常食をかじりながら歩きます。

ここから自然歩道のような木道がありましたが、雪が積もり人気もないし、「こんなとこ歩いてたら遭難するよ」というko-ichiの一言で断念。ひとまず、バスに乗ってきた道(志賀草津道路:R292)をそのまま引き返すように歩くことにしました。

上の小池ワイド

上の小池道標

上の小池>。山がシンと静まり返った水の上にたたずむ様はちょっと幻想的。

志賀草津道路を歩く

(蓮池)ロープウェイでいったんバスに乗ります。

紅葉豪雪の館

上林温泉バス停で降りてしばらく歩くと、あるところの中庭のような場所にこんなきれいな紅葉がありました。

落ち葉のじゅうたん!!もみじの葉

やっときれいな紅葉に出会えて感激。しばし、撮影タイムとなりました。

民族資料館 豪雪の館 ここが豪雪の館。民族資料館です。

野猿公苑へ地獄谷 野猿公苑

さらに歩いて山の中に入ります。

野猿公苑の看板ここから<地獄谷 野猿公苑>に入ります。

紅葉しているお山今年は紅葉らしい紅葉を見ていなかったので、うれしい♪

アブラチャン 面白い名前の木がありました。【油瀝青:アブラチャン】といいます。実・樹木ともに油分を多く含むのでこの名前がついたそうです。

野猿公苑

お猿さん

野猿公苑が見えてきました。

地獄谷 野猿公苑のお猿さんたち

もう、あちこちお猿さんたちでいっぱい!温泉に入っているお猿さんも!!私たちも写真撮りまくりです ^^; 
ライブカメラもあるようですね。こちらです>>

↑私も撮ってみましたよ♪

続きます>>


晩秋の千倉海岸、紅葉は未だ養老渓谷-その3

2006年11月04日 | 海たび・島たび

11/3 首都高 ― 館山道 ― 冨浦IC ― R127 ―千倉海岸 民宿泊
11/4 千倉海岸 ― 安房天津 ― <清澄養老ライン(81号線)> ―養老渓谷 旅館泊
11/5 養老渓谷 ― <大多喜街道(R297)> ― 姉崎袖浦IC ― 館山道 ― 首都高 帰宅

06年11月4日(土)

養老渓谷の散策

ko-ichi 「こんなに観光客が多いと今日は無理かなぁ」

nobu 「・・・?! もしかして、あわよくば泊まろうと思ってた?」

ko-ichi 「そう!あわよくば!!」

nobu (なんだ、そういうことは早く言ってよーー♪)

そういうことならばと、よさげな旅館に当たりをつけて部屋が空いているかどうか聞いてみる。

喜代元「空いてますよ」との嬉しい返事
(^-^)v♪
喜代元(きよもと)さんです。

養老渓谷入り口 チェックインまでまだ時間があったので、養老渓谷を歩くことにしました。

絶壁11月だというのにこちらは暖かい。ジャケットを脱いでも平気です。

養老渓谷前回も言ったのですが、紅葉はまだまだ。
11月下旬頃だそうです。

弘文洞跡 弘文洞跡の看板

弘文洞跡。江戸時代、農地拡大のために養老川と筒森川の合流地点に造られたトンネルですが、昭和54年に崩壊してしまったそうです。

坂道山歩きみたいな道があったり♪

養老渓谷の景色 お花

小高いところから見た渓谷の景色。ここからも紅葉はほんのりと。

出世観音出世観音です。 源頼朝公の出世のきっかけになったことから、命名されたそう。

菊の花たち

菊の花たち

近くで菊祭りをやっていました。いろんな菊の花があるのにはただただビックリ!

喜代元の部屋の中 いい時間になったので旅館に戻ってチェックインしました。こざっぱりしてなかなかいい部屋♪

お風呂は黒い湯!

夕食 夕ごはんです。品数も多くてなかなか美味しかった。鮎の塩焼きやしし鍋、とろろにうなぎ、食べきれないほどありました。

11月5日(日)

最終日

朝もやの養老渓谷1いつも朝の早い私たち。またまた、朝ごはん前に散歩。

この日の養老渓谷はもやってました。

朝もやの養老渓谷2ちょっと幻想的な風景に。

この日、養老渓谷を一路北上し、また高速へ抜けて、帰路に着きました。

おしまい。


晩秋の千倉海岸、紅葉は未だ養老渓谷-その2

2006年11月04日 | 海たび・島たび

11/3 首都高 ― 館山道 ― 冨浦IC ― R127 ―千倉海岸 民宿泊
11/4 千倉海岸 ― 安房天津 ― <清澄養老ライン(81号線)> ―養老渓谷 旅館泊
11/5 養老渓谷 ― <大多喜街道(R297)> ― 姉崎袖浦IC ― 館山道 ― 首都高 帰宅

06年11月4日(土)

千倉海岸から養老渓谷へ

朝の千倉海岸早起きが身にしみついている私たち。この日も早朝から起きだして、まずは釣りに。

朝の光が海に映ってきらきら光り、きれいです。

千倉漁港朝ごはんのあと場所を変えて近くの漁港へ行ってみる。

フグ

しばらくして雨がポツリポツリ、次第にひどくなってきたので早々に撤退。これまでの釣果は結局、ふぐと小さな魚一匹ずつ。これはすぐに海にリリース。これではさすがにつまらないので帰ることにしました。

清恵清澄養老ライン(R81)を登っていくうちに、お腹が空いてきて、どこか食べるところは無いかと探しました。養老渓谷に入った頃、やっと見つけお昼に。

清恵のお箸袋清恵>というお店ですが、麦とろ御膳がおいしかったぁ。「はっ」と気が付くとすっかり食べてしまっていたので、写真を撮っていません (^_^;) 代わりにこちらをどうぞ>>

養老渓谷

養老渓谷です。紅葉はまだ、ほんのりといったところ。本格的になるのは11月の下旬だそうですが、それでも、連休とあって多くの人がいました。

ko-ichi 「こんなに観光客が多いと今日は無理かなぁ」

nobu 「・・・?! もしかして、あわよくば泊まろうと思ってた?」

ko-ichi 「そう!あわよくば!!」

nobu (なんだ、そういうことは早く言ってよーー♪)

続きます。


晩秋の千倉海岸、紅葉は未だ養老渓谷-その1

2006年11月03日 | 海たび・島たび

11月始めの3連休、涸沢の大混雑がよほどこたえたのか、ko-ichiは海に釣りに行きたいと、ひとりでさっさと観光協会に電話して、泊まるところをあたっている。でも、私(nobu)は紅葉を見に山へ行きたい!!あわや、夫婦別行動になるかと、険悪な空気が漂いはじめたのですが・・・。

ko-ichi 「千倉に釣りに行くよ。帰りは養老渓谷を通るけど」。「行かない?」

nobu (なにぃ!? 養老渓谷ーーーー!!)

結局、ko-ichに付き合うことに(^^ゞ 今回は車を使いました。ko-ichiが仕事で使っているトラックです(^_^;)。

11/3 首都高 ― 館山道 ― 冨浦IC ― R127 ―千倉海岸 民宿泊
11/4 千倉海岸 ― 安房天津 ― <清澄養老ライン(81号線)> ―養老渓谷 旅館泊
11/5 養老渓谷 ― <大多喜街道(R297)> ― 姉崎袖浦IC ― 館山道 ― 首都高 帰宅

06年11月3日(金)

千倉海岸へ

鬼高SA【12:46】京葉道の鬼高SA。

朝10時頃出発し、この辺で軽くお昼ごはんです。この先、千葉に入った館山道は連休の初日なのにガラガラ。夏ならともかく、この時期、海に向かう人はそういないのかもしれません。

民宿 小倉ボタン 【15:00】今日のお宿、民宿「小倉ボタン」です。ko-ichiが千倉の観光協会に電話して予約しておきました。変わった名前ですが、由来は分かりません。

千倉海岸 部屋から見える海の風景が素敵です。

←クリックで拡大

千倉海岸へ

早速、海へ。

日差しがどことなく優しい、そして静かな晩秋の海の風景が広がっていました。釣り人やサーファーが楽しんでいます。

↑動画でもどうぞ

釣り針を海へ投げ入れる 私たちも釣りを始めました。

結局、この日の釣果はゼロ。でも、ko-ichiは釣り糸を垂れているだけで楽しいのです。

宿に戻っても、「こうして、風呂に入れて、飯が食えて、足を伸ばして寝られるっていいよな~」と、また涸沢ヒュッテでのことと比べて言います。

次の日につづきます・・・。