今回は長くなったので二日間に分けて掲載します。
現代では男尊女卑は女性差別の象徴とされていますが、じゃあそもそもなんで男尊女卑は生まれたのでしょうか?
ワタリ的に、それは遥か昔に大切な女性を護るため危ない場所には行かせないようにしたり危ない事はやらせなかった男性の行動が発端なのかもしれないと思っています。
地域によって事情は異なりますし、多分これを最初に実行したのは富裕層だと思うのですが、これを現代に置き換えると小さい子供には危ない場所には行かせない。危ない事はやらせない。と言うのに一番近いと思います。
しかし、一見するといち愛情表現として見えるこれも、相手のやる気ややりたい。と言う意思をことごとく阻害することになりますから、愛情表現として成立させる為にはすごく大変と言うか、やる気を阻害される側と阻害する側で取引が成立していないと出来ない技なんですよ。
まず、男性が女性に自身のやる気を阻害する代価として、相手を納得させるだけの代わりの品や阻害した物に準じるものを毎回差し出せないとなりませんし、どうしても無理なら納得出来る説明が出来ないとなりません。
そして、出来るだけ早い内に自身の行動制限が間違っていなかった事を相手に理解出来る形、特に目に見えた形で実感させないとなりません。
そして、この取り引きを繰り返している内に下記に引用した実験の結果のように、やる気を阻害される=阻害された物より良い物が来る。と脳が判断してやる気を阻害されても平気になるようになるんだと思います。
「・報酬系に関わるサルの実験結果。
報酬系が活性化するのは、必ずしも欲求が満たされたときだけではなく、報酬を得ることを期待して行動をしている時にも活性化する。例えば、喉が渇いているヒトが水を飲んだときには、脳内で報酬系が活性化し快の感覚を感じる。しかし、ヒトであれば歩いている途中に自動販売機を見つけた場合、その時点で水分が飲めることが当然推測できるので、見つけた時点で報酬系が活性化している。これに似たような実験をシュルツら(1993)がサルにおいて行っている。彼らは、ある視覚刺激を呈示して数秒後にエサが出てくるという装置を作り、サルをそれに馴れさせた。同時に中脳のドーパミン系細胞に電極を挿入し活動を記録したところ、実験初期にはエサが出てきた時点で細胞が活性化していたが、実験に馴れて来ると、視覚刺激が呈示された時点で神経活動が活性化していた。」
ここまで来るとこの人の指示にしたがっていれば間違いはない。いつも私にとっての利益だけをくれる。と言う安心と信頼が生まれ、相手は行動制限をする男性に好感を持つようになります。
で、愛情の表現や形は人それぞれで、二人の間ではそれで持ちつつもたれつつの関係性が成立している。心の底から「この人と出会えて幸せ。」と言える状態ならば、誰かを巻き込んだり刑法に反していたりしない限り制限されるような物ではないと思うのですが、この持ちつ持たれつつのバランスのとれた関係性を築いていると、ごく自然に相手に対する奉仕の心が芽生えるようになるんですね。
例えば、ツインソウルとしか思えないような長い付き合いで今でも仲の良い友達の頼みとかって結構簡単に受けて、対価を要求しなかったりするじゃないですか?
仮に対価を要求したとしても、コーヒー一本だったり今日の昼ごはんおごりとかだったり、自分が苦手で相手が得意な教科が有ったらそれを教える事だったり。
絶対その人が無理じゃない範囲、或いは少し無理をすれば済む範囲で、逆に嫌いな人間からの頼まれ事は頼んだ人が絶対支払えない対価を要求して断るように仕向けるじゃないですか?
これと同じ事がこの行動制限をしている男性と制限を受けている女性の間にも成立しているんです。
その結果が夫を大事にして敬う妻と妻を従わせる夫と言う構図で、それがものすごく良い物のように見えたから理想となったのかもしれませんが、成功例の夫妻に実は取引が行われていると言う事を理解出来ずにそれを真似しようとした各種失敗例が現在では悪いとされている男尊女卑の内訳なんだと思います。
はい、明日はこれの続きです。
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ワタリ的に、それは遥か昔に大切な女性を護るため危ない場所には行かせないようにしたり危ない事はやらせなかった男性の行動が発端なのかもしれないと思っています。
地域によって事情は異なりますし、多分これを最初に実行したのは富裕層だと思うのですが、これを現代に置き換えると小さい子供には危ない場所には行かせない。危ない事はやらせない。と言うのに一番近いと思います。
しかし、一見するといち愛情表現として見えるこれも、相手のやる気ややりたい。と言う意思をことごとく阻害することになりますから、愛情表現として成立させる為にはすごく大変と言うか、やる気を阻害される側と阻害する側で取引が成立していないと出来ない技なんですよ。
まず、男性が女性に自身のやる気を阻害する代価として、相手を納得させるだけの代わりの品や阻害した物に準じるものを毎回差し出せないとなりませんし、どうしても無理なら納得出来る説明が出来ないとなりません。
そして、出来るだけ早い内に自身の行動制限が間違っていなかった事を相手に理解出来る形、特に目に見えた形で実感させないとなりません。
そして、この取り引きを繰り返している内に下記に引用した実験の結果のように、やる気を阻害される=阻害された物より良い物が来る。と脳が判断してやる気を阻害されても平気になるようになるんだと思います。
「・報酬系に関わるサルの実験結果。
報酬系が活性化するのは、必ずしも欲求が満たされたときだけではなく、報酬を得ることを期待して行動をしている時にも活性化する。例えば、喉が渇いているヒトが水を飲んだときには、脳内で報酬系が活性化し快の感覚を感じる。しかし、ヒトであれば歩いている途中に自動販売機を見つけた場合、その時点で水分が飲めることが当然推測できるので、見つけた時点で報酬系が活性化している。これに似たような実験をシュルツら(1993)がサルにおいて行っている。彼らは、ある視覚刺激を呈示して数秒後にエサが出てくるという装置を作り、サルをそれに馴れさせた。同時に中脳のドーパミン系細胞に電極を挿入し活動を記録したところ、実験初期にはエサが出てきた時点で細胞が活性化していたが、実験に馴れて来ると、視覚刺激が呈示された時点で神経活動が活性化していた。」
ここまで来るとこの人の指示にしたがっていれば間違いはない。いつも私にとっての利益だけをくれる。と言う安心と信頼が生まれ、相手は行動制限をする男性に好感を持つようになります。
で、愛情の表現や形は人それぞれで、二人の間ではそれで持ちつつもたれつつの関係性が成立している。心の底から「この人と出会えて幸せ。」と言える状態ならば、誰かを巻き込んだり刑法に反していたりしない限り制限されるような物ではないと思うのですが、この持ちつ持たれつつのバランスのとれた関係性を築いていると、ごく自然に相手に対する奉仕の心が芽生えるようになるんですね。
例えば、ツインソウルとしか思えないような長い付き合いで今でも仲の良い友達の頼みとかって結構簡単に受けて、対価を要求しなかったりするじゃないですか?
仮に対価を要求したとしても、コーヒー一本だったり今日の昼ごはんおごりとかだったり、自分が苦手で相手が得意な教科が有ったらそれを教える事だったり。
絶対その人が無理じゃない範囲、或いは少し無理をすれば済む範囲で、逆に嫌いな人間からの頼まれ事は頼んだ人が絶対支払えない対価を要求して断るように仕向けるじゃないですか?
これと同じ事がこの行動制限をしている男性と制限を受けている女性の間にも成立しているんです。
その結果が夫を大事にして敬う妻と妻を従わせる夫と言う構図で、それがものすごく良い物のように見えたから理想となったのかもしれませんが、成功例の夫妻に実は取引が行われていると言う事を理解出来ずにそれを真似しようとした各種失敗例が現在では悪いとされている男尊女卑の内訳なんだと思います。
はい、明日はこれの続きです。
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