以前男尊女卑に関する話を書いている時に思い、この発展版と言うかこの世で最も起き易いパターンでの愛故の行動制限に関する話が必要になるな。と言う気がしたので今回の話題はそれです。
自分にとって大切な存在があると、大体の人はそれを守ろうとします。
特に動植物や子供等を始めとした自分よりも弱い立場の存在の場合、この守りたいと言う気持ちとセットで相手に対する行動制限が開始されます。
ワタリ自身今はコテージにいるハルを飼い始めた時、当時車の通りの激しい所に住んでいた都合上、車にひかれて死んだ猫を多数見ていたワタリはハルを失いたくないと言う理由で当時としては珍しい箱猫にするのを選び、ワタリが同伴でなければ外出はさせませんでした。
それでも若い頃は外に出たがった事が有って、洗濯物を干す都合で窓を開けていたりすると出て行こうとしたりしました。
しかし、当時ワタリは一階に住んでいた為ちょっと前足を出せばすぐ「駄目!!」と制止し、気が付いたらハルはワタリの制限を受け入れ外に出たがらない子になりました。
今は二階に住んでいるので猫たちはベランダに出てくつろいでいたりします。
しかし、それでも誰かがいなくなるのは嫌なので、下をのぞきこんでいたり手すりを歩いている時は落ちないように声をかけ、外出する時は絶対ベランダに誰もいない事を確認してから行きます。
けれど玄関から先に行くのは厳しく制限をしていて、ちょっとでも出ようものならすぐに叩いてでも制止します。
おかげで猫達は玄関から先には行かない子になり、誰ひとりとしてかける事無くワタリと家族の住む自宅で過ごしています。
ちょっと話がそれかけていますが、最も起き易いパターンでの愛故の行動制限をするって起承転結方式で話すとこう言う事になるんですね。
理由は、危ないと解っている所に行かせてその存在を失いたくないから。
飼い猫なら閉じ込める事で有り、人間の子供ならしつけを通して自分の身を守るすべを教える事だったり、誘われても危ない場所にはいかない。と教える事だったりします。
もちろん、不可視領域と関わるワタリの場合はこれにいわくつきスポットには誘われても行かない。と言うのが付きます。
まあ、流石に子供達も大きくなりワタリの目が届くので、夕飯の支度の合間に自宅の通路前で遊ばせる位の事はやるようになりましたが、まだまだ色々な所で小言が多いです。
と言うか、色々な理由から子供が何かやればほとんど毎回小言が飛んできて、あれはやれこれはやれあれはするなこれはするな・・・・。
最近は食べ物を粗末にした。等のスピ的にみて本当にやってはならない事をやった時限定ですが、一時期は白線の内側を歩くと言うのを習慣化させる為にお尻を叩いたり腕を引っ張ったり等の乱暴な手段をこうじた事も有り、まるで一昔前の犬のしつけかと思うような時も有りました(^^;)
でも、虐待と違うのは可能な限り自分はどうしてやったのか?と言う理由を説明している事。
なんとな~~くツインのやり方に影響を受けているよな。と言う気がしない訳では有りませんが、本当にリアルで「お前を失いたくないからやっているだぞ?いつかはお母さんの元を離れなきゃならないからやっているだぞ?」と言うような事をやっています。
言えば解るから。なんて言うのは相手に対し自分より頭が良い事、すなわち自分よりも物を知っていると言う事を前提にしている発想で、こう言う発想は親が子供に甘えている証拠だと思います。
あくまで経験的に得たものですが、最低でも床にこぼした食品を拾って口に運ばないようになるまでは手元を叩いてでも駄目な事は駄目!と教える必要が有るんだと思います。
そんな思考が有るせいか、口より手が早い人にはなっていると自分でも自覚しています。
でも、本人に理解出来る可能性の有る言葉を使い、出来るだけ簡潔に失いたくないからやっているんだ。と言う感情を込め説明を続ければ、ある日ふとした瞬間に結構通じていたんだな。と実感する事が多々あります。
それを初めて実感するのはいつになるのかが解らないのが難点なのですが、ワタリの長女の場合は五歳の誕生日過ぎ位に実感が持てるようになりました。
言葉足らずの子供達は察してもらえないと自身の気持ちですら自覚出来ない事が多く、そう言う点では言葉にならない言葉が解り、子供達の気持ちを代弁できるエンパスで良かったと思いますし、代弁するとほっとしたような顔をしている時が多く有ります。
でもね、言わなきゃ解らない事も沢山ありますし、対人間に対する行動制限なんてものは説明しなきゃ理解してもらえない事の最たるもの。
だから、行動制限する事を愛情表現としてとらえてもらうにはすごく大変で、それを維持するのには地道な努力が必要になるんです。
対大人でも、対子供でも、対動植物でもね。
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自分にとって大切な存在があると、大体の人はそれを守ろうとします。
特に動植物や子供等を始めとした自分よりも弱い立場の存在の場合、この守りたいと言う気持ちとセットで相手に対する行動制限が開始されます。
ワタリ自身今はコテージにいるハルを飼い始めた時、当時車の通りの激しい所に住んでいた都合上、車にひかれて死んだ猫を多数見ていたワタリはハルを失いたくないと言う理由で当時としては珍しい箱猫にするのを選び、ワタリが同伴でなければ外出はさせませんでした。
それでも若い頃は外に出たがった事が有って、洗濯物を干す都合で窓を開けていたりすると出て行こうとしたりしました。
しかし、当時ワタリは一階に住んでいた為ちょっと前足を出せばすぐ「駄目!!」と制止し、気が付いたらハルはワタリの制限を受け入れ外に出たがらない子になりました。
今は二階に住んでいるので猫たちはベランダに出てくつろいでいたりします。
しかし、それでも誰かがいなくなるのは嫌なので、下をのぞきこんでいたり手すりを歩いている時は落ちないように声をかけ、外出する時は絶対ベランダに誰もいない事を確認してから行きます。
けれど玄関から先に行くのは厳しく制限をしていて、ちょっとでも出ようものならすぐに叩いてでも制止します。
おかげで猫達は玄関から先には行かない子になり、誰ひとりとしてかける事無くワタリと家族の住む自宅で過ごしています。
ちょっと話がそれかけていますが、最も起き易いパターンでの愛故の行動制限をするって起承転結方式で話すとこう言う事になるんですね。
理由は、危ないと解っている所に行かせてその存在を失いたくないから。
飼い猫なら閉じ込める事で有り、人間の子供ならしつけを通して自分の身を守るすべを教える事だったり、誘われても危ない場所にはいかない。と教える事だったりします。
もちろん、不可視領域と関わるワタリの場合はこれにいわくつきスポットには誘われても行かない。と言うのが付きます。
まあ、流石に子供達も大きくなりワタリの目が届くので、夕飯の支度の合間に自宅の通路前で遊ばせる位の事はやるようになりましたが、まだまだ色々な所で小言が多いです。
と言うか、色々な理由から子供が何かやればほとんど毎回小言が飛んできて、あれはやれこれはやれあれはするなこれはするな・・・・。
最近は食べ物を粗末にした。等のスピ的にみて本当にやってはならない事をやった時限定ですが、一時期は白線の内側を歩くと言うのを習慣化させる為にお尻を叩いたり腕を引っ張ったり等の乱暴な手段をこうじた事も有り、まるで一昔前の犬のしつけかと思うような時も有りました(^^;)
でも、虐待と違うのは可能な限り自分はどうしてやったのか?と言う理由を説明している事。
なんとな~~くツインのやり方に影響を受けているよな。と言う気がしない訳では有りませんが、本当にリアルで「お前を失いたくないからやっているだぞ?いつかはお母さんの元を離れなきゃならないからやっているだぞ?」と言うような事をやっています。
言えば解るから。なんて言うのは相手に対し自分より頭が良い事、すなわち自分よりも物を知っていると言う事を前提にしている発想で、こう言う発想は親が子供に甘えている証拠だと思います。
あくまで経験的に得たものですが、最低でも床にこぼした食品を拾って口に運ばないようになるまでは手元を叩いてでも駄目な事は駄目!と教える必要が有るんだと思います。
そんな思考が有るせいか、口より手が早い人にはなっていると自分でも自覚しています。
でも、本人に理解出来る可能性の有る言葉を使い、出来るだけ簡潔に失いたくないからやっているんだ。と言う感情を込め説明を続ければ、ある日ふとした瞬間に結構通じていたんだな。と実感する事が多々あります。
それを初めて実感するのはいつになるのかが解らないのが難点なのですが、ワタリの長女の場合は五歳の誕生日過ぎ位に実感が持てるようになりました。
言葉足らずの子供達は察してもらえないと自身の気持ちですら自覚出来ない事が多く、そう言う点では言葉にならない言葉が解り、子供達の気持ちを代弁できるエンパスで良かったと思いますし、代弁するとほっとしたような顔をしている時が多く有ります。
でもね、言わなきゃ解らない事も沢山ありますし、対人間に対する行動制限なんてものは説明しなきゃ理解してもらえない事の最たるもの。
だから、行動制限する事を愛情表現としてとらえてもらうにはすごく大変で、それを維持するのには地道な努力が必要になるんです。
対大人でも、対子供でも、対動植物でもね。
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