降りそうで、まだ降らない重い空。
平等寺のお詣りを済ませ、Tさんのお友達のFさんの車に乗せてもらいました。
お天気が良ければ、歩いて行くと突然に海が現れて、一番札所からずっと山道と田園だったのでとても感動するそうで。こんな暗い空でなかったら歩いて行きたいけれど…全部は歩けないような気がします。
薬王寺のある日和佐までは山と海が見える方の二つの道があります。
山の方はアスファルト道ですが距離は短く、海側は距離は長いけれど景色が素晴らしいということです。
Fさんは細い山道を縫って海側の道へと走ってくれました。
時々、雨がフロントガラスに当たります。
見えた海は当然ながら灰色でした。
海沿いにうねるように走ります。
由比の浜、田井ノ浜、木岐港などを横目に見て日和佐に到着です。
歩けば八時間以上かかる距離が30分。車ってすごいです。
幸い雨はやんでいます。晴れそうにはないですが傘を出さずにすみました。
日和佐は薬王寺の門前町のような感じです。
お土産屋さんや食事処がたくさん並んでいます。お正月などは参拝客で溢れるそうです。
ですが、雨が降りそうな8時前の町には人もあまりいません。
第23番札所 医王山 薬王寺
ご詠歌 皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ
この寺は行基が聖武天皇の勅願を受けて建立し、弘法大師が平城天皇の勅命で厄除け薬師如来を刻んで本尊としたと縁起にはあります。以後は厄除けの官寺として多くの天皇や上皇が参拝に訪れています。
阿波国、発心の道場の最後の札所は高台に建っていて海を見下ろせます。
薬王寺は高野山真言宗の別格本山で全国的に厄除けの寺院として有名だそうで、42段の男厄除坂33段の女厄除坂から本堂に登ります。ご詠歌の「病みぬる年」というのは厄年のことなんですね。
薬王寺のシンボルとされているのが赤い丸い屋根の瑜祇塔(瑜祇経の経典が納められている)でここへ上る61段の坂は還暦厄坂と呼ばれています。
大きくて立派なお寺でした。ただ街道に面しているためかあまり荘厳さはかんじませんでした。
Tさん、Fさんと三人で本堂の前の広場から海を眺めました。
Tさんは太龍寺に参るかどうか悩んでいます。車で行ってもあそこは駐車場から急坂を2キロの歩き。ロープウェイ乗り場までは大回りですし天候が悪い。
きっと、Fさんのサポートで行かれたのだろうと思うのですが。
感謝の気持ちで太龍寺で買ったお線香と納め札をFさんにお渡ししました。
また会うことがあるのでしょうか。ありがとうございました。
車を見送って駅に向かいました。日和佐駅はすぐそこです。9時の電車が出たばかりで一時間あまり待ちます。
次は3時間後です。駅から見える日和佐城にも港にも行けそうです。でもそんな好奇心はなく日和佐の道の駅で時間を潰しました。足湯がありましたが靴下を脱ぐのが面倒です。特産品に美味しそうな物がありましたが重そう。珈琲を飲みながら行き交う人々を眺めていました。
電車は一両のワンマンカー。途中で一両が連結されて徳島駅へ到着。
バスで港へ行き、南海フェリーに乗船。連休の最後の日だからか満杯でした。
船に乗った時はかなり強く降った雨も和歌山に近づくにつれて青空が見え始めました。
エネルギーセンターへ渡る青岸橋が見えたときはなぜか心がほっこりしました。
家には16時前に着きました。
阿波を打ち終わったという満足感に浸る一方で、次は土佐と思いは高知に向いています。でも、アスファルト道が多いので車で行こうと思います。
当分はお遍路のことは封印です。
歩く力を蓄えるために務めます。
平等寺のお詣りを済ませ、Tさんのお友達のFさんの車に乗せてもらいました。
お天気が良ければ、歩いて行くと突然に海が現れて、一番札所からずっと山道と田園だったのでとても感動するそうで。こんな暗い空でなかったら歩いて行きたいけれど…全部は歩けないような気がします。
薬王寺のある日和佐までは山と海が見える方の二つの道があります。
山の方はアスファルト道ですが距離は短く、海側は距離は長いけれど景色が素晴らしいということです。
Fさんは細い山道を縫って海側の道へと走ってくれました。
時々、雨がフロントガラスに当たります。
見えた海は当然ながら灰色でした。
海沿いにうねるように走ります。
由比の浜、田井ノ浜、木岐港などを横目に見て日和佐に到着です。
歩けば八時間以上かかる距離が30分。車ってすごいです。
幸い雨はやんでいます。晴れそうにはないですが傘を出さずにすみました。
日和佐は薬王寺の門前町のような感じです。
お土産屋さんや食事処がたくさん並んでいます。お正月などは参拝客で溢れるそうです。
ですが、雨が降りそうな8時前の町には人もあまりいません。
第23番札所 医王山 薬王寺
ご詠歌 皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ
この寺は行基が聖武天皇の勅願を受けて建立し、弘法大師が平城天皇の勅命で厄除け薬師如来を刻んで本尊としたと縁起にはあります。以後は厄除けの官寺として多くの天皇や上皇が参拝に訪れています。
阿波国、発心の道場の最後の札所は高台に建っていて海を見下ろせます。
薬王寺は高野山真言宗の別格本山で全国的に厄除けの寺院として有名だそうで、42段の男厄除坂33段の女厄除坂から本堂に登ります。ご詠歌の「病みぬる年」というのは厄年のことなんですね。
薬王寺のシンボルとされているのが赤い丸い屋根の瑜祇塔(瑜祇経の経典が納められている)でここへ上る61段の坂は還暦厄坂と呼ばれています。
大きくて立派なお寺でした。ただ街道に面しているためかあまり荘厳さはかんじませんでした。
Tさん、Fさんと三人で本堂の前の広場から海を眺めました。
Tさんは太龍寺に参るかどうか悩んでいます。車で行ってもあそこは駐車場から急坂を2キロの歩き。ロープウェイ乗り場までは大回りですし天候が悪い。
きっと、Fさんのサポートで行かれたのだろうと思うのですが。
感謝の気持ちで太龍寺で買ったお線香と納め札をFさんにお渡ししました。
また会うことがあるのでしょうか。ありがとうございました。
車を見送って駅に向かいました。日和佐駅はすぐそこです。9時の電車が出たばかりで一時間あまり待ちます。
次は3時間後です。駅から見える日和佐城にも港にも行けそうです。でもそんな好奇心はなく日和佐の道の駅で時間を潰しました。足湯がありましたが靴下を脱ぐのが面倒です。特産品に美味しそうな物がありましたが重そう。珈琲を飲みながら行き交う人々を眺めていました。
電車は一両のワンマンカー。途中で一両が連結されて徳島駅へ到着。
バスで港へ行き、南海フェリーに乗船。連休の最後の日だからか満杯でした。
船に乗った時はかなり強く降った雨も和歌山に近づくにつれて青空が見え始めました。
エネルギーセンターへ渡る青岸橋が見えたときはなぜか心がほっこりしました。
家には16時前に着きました。
阿波を打ち終わったという満足感に浸る一方で、次は土佐と思いは高知に向いています。でも、アスファルト道が多いので車で行こうと思います。
当分はお遍路のことは封印です。
歩く力を蓄えるために務めます。
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