小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

七月十三日、十四日

2017-12-15 | 嘉永四年 辛亥日記

七月十三日 

夜、風雨。遠くで雷が鳴る。
田中から便りが来る。スイカ一つ送られた。
庄右衛門が手紙を持参。こかぶ菜をくれる。飯を出す。
遠藤から手形で五枚、五百目持たせて寄越した。
表は川のごとく雨が降っているのでどこへも行かず。



七月十四日 

昨日の大雨風で栄谷の池が崩れてその下の村々が大荒れでいっしょう寺、園部、貴志など水で溢れる。
岡野の下屋敷は普請中で大工の道具など置いてあったが全部流れてsまった。
怪我人も三人ほどでたらしい。
二百目ほど残して、また湯川に二百目の借り。
また藤田了吉方えも三両と百目ばかりあり。しめて六百目ほどの借財。
この度遠藤一郎の世話で五百目借りた。
また合わせて一貫百目あまり借財あるが、貸しも少々ある。
岩橋、野呂、梅本、村井らにすこづつあるけれどいずれも取り立てる気はない。
浅之助にも三百目貸した残りがあるが何も言わない。
入りも一貫五百目ほど。
年々物みな高値になるにつき、払いは段々と大変になる。




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七月十一日、十二日

2017-12-10 | 嘉永四年 辛亥日記
七月十一日 

少々くもる。
朝、遠藤一郎が頼んでいた賄い方借用のことにつき来る。
またそのことで岩一郎は浅之助宅へ行く。
母君は金比羅参り。



七月十二日 

了吉が礼に来る。57匁と一歩持参。茄子20個持って来た。
酒飯を出す。
野呂も来て酒を出す。夕方には主人と連れだって出て行く。
楠本屋へ金2分瓶代として持参。
ギヤマンの鉢鉢を一つ貰った。蔵六も居て一盃吞んだ由。
喜多村から手紙が来たので返事を持たせてやった。
夜には母君が西光寺へ参った。
市川斎親明が病死した葬送の見物に熊五郎を連れて行く。
浅之助が紙と酒券を持って来る。
田中から麦二俵届いた。


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七月十日

2017-12-04 | 嘉永四年 辛亥日記
七月十日 

涼しく、天気上々。
主人、早朝に遠藤へ行く。
栄谷才次郎が麦を二斗持参。八十目だが二匁値引いたという。
千代が胡麻油を二合ばかり持って来た。一匁渡す。
内田と田中から中元祝儀を届けられる。
伊勢蔵六が印を一つ持って来た。酒を出す。
肴を見に行ったが三箇所とも何もなく魚を1匹持ち帰りそれで一盃だした。

夕方から下条伊兵衛殿(家老)の葬送を熊五郎を連れて見立てに行った。
小梅もと岩一郎やとよらと行く。おおいに賑わっていた。
四方棺(4人でかた上にかつぎ、屋根は御輿の屋根のように上に玉か鳥を飾る)
でおくり、戸田や岡野そのほかも所々に立ち、駕篭は十四ほどもあって、死者のあとさきに馬があった。


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