親父はこの近くから戦場ビルマ、今のミャンマーにたびだったと、おばあさん
から聞かされて育った。国のために戦ったという意味がわからないまま育ちすぎた
のかもしれない。しかし力になったのは、実像を知らない親父の分まで生きること
というこれまたわけのわからない目的?根性?だったような気がする。
そんな親父との対話の神社だったかもしれない。
玄関わきには山茶花一輪、大晦日の突風で葉が散り、蝋梅の甘い香りを放つ花が
現れた。
久しぶりの外出は、忘れ物が多い。
時計、携帯電話、カメラ、ハンカチ、マスクを持ったかテェックするも
肝心の去年の絵馬を忘れ引き返す。初もうでという、年が改まってしまった。
早めに帰宅、年賀状、テレビ番とオタッキー風出発の巳年元旦であった。