終戦後のことである。父親は戦場から帰って来なかった。
僕が小学3年生の時だった。行方不明と言う知らせを聞いた。
当然ながら母が落ち着くまで、父の実家、母の実家の小学校
を転々とした。
落ち着いた時の小学校の時代の幼なじみ。
連絡は手紙、電話だったが今ではメールである。
入院で返事がたまっていた。
朝早く、メールの返事を送信、すぐ返事がきた。
もう起きていたのだ。
「ゴミだしの途中だった」もう一仕事おわったのだ。
生活感あふれるメール、身近に感じるのがうれしかった。
写真上:ヘルシンキ、「ムーミン・ショップ」
写真下:シャモニー、路上パフォーマンス