タワゴト日記

 未来は無限にあると思っていたが、有限を
感じさせる世の中、光をツールに少しでも楽しい毎日でありたい!

かわせみ

2013年01月07日 | Weblog


 葉が落ちたさくらの小枝にはさまれて青い物体、しあわせの青い鳥だ。

年末にかったコンパクトカメラ、それでもズーム倍率24xWIDEと素晴らしい。

どこでも持って行ける超軽量さで手離せない。

かわせみの素早い動きにまだついていけないでいる。

・ポケットに素早く撮影できるようカメラの電源は入れたまま歩く。

・見つけたら素早く取り出す。カメラを構えるがカメラのどこに映っているか

わからない。

・見つけてピントを合わせるまでが勝負なのだが?

今回は前回よりましに場所を移した2か所ともまあまあ撮れたが、決して満足

いくショットとはいかない。

この後水面にジャンプなんと魚を捕え、川の中央にある石ころの上でさかなを

たたき食事である。

かなりの時間があったのに、カメラが電池切れ、ああ残念!




世の中仕事始め

2013年01月05日 | Weblog


 一線を退いた自分にとって懐かしい言葉である仕事始め。

今している日常の生活には、仕事始めはないのだろうか?

たしかに仕事らしい仕事は少ない。しかし自分で考え自分で行動することが

多くなったようだ。失敗しても誰も文句をつけない。

誰も報酬をくれない。自分でしたことで、できたことで満足して過ぎてゆく。

近所に神社があり、サラリーマン現役時代気にも留めなかった神社に、散歩

の道すがら頭を下げて、写真撮影。

昼は外食、まちはすっかり仕事始めモードである。

20分ほど並んで食べた「銀だら定食」。おいしかったぜ!ワイルドだったぜ!

年末の体調不良で、初夢が見たいと今人気の新世代マットレスパッド

airweaveを使用のまくらを購入を計画、やっとの思いで昨日かってきた。

一富士ニタカ三なすびとはいかなかったが?

のどの痒いのがとまり、咳が止まった。まくらの高さがぴったりだったようだ。






正月三日

2013年01月03日 | Weblog


 初詣の帰り、サムライクルーズ(名古屋城~宮の渡し)の看板をみた。

正月2、3日の2日間限定である。今日が最後、来年までまたなくてはならない?

9時ごろから雪がちらつきはじめた。

もう社会はUターンラッシュで、駅や道路は混んでいるだろう。

僕は約束のため職場に出かける。出発まじかに雪が激しくなり、自動車運転にあまり

自信のない自分がいる、迷いに迷い意を決して出発。

Aさんの家族はもう来ていて、頼まれて気にかかっていた年末の神棚は、立派に

据えつけられていた。

我が家の女性陣がよかった、よかったと帰ってきた。

雪降る街をながめ、甘酒、ぜんざいを飲みながら、暖房、トイレ付屋形船からみる

風情ある風景など何度も何度も聞かされた。もうこんなチャンスはない?

素敵な写真がきっとたくさん撮れたろうにと。もうこれはイジメだ!


正月二日

2013年01月02日 | Weblog


 大型ショッピングセンタ正月セールに同伴。圧倒的に多いのは若い男女そして、

子供連れが多い。それでも食べて、寝て、家でゴロゴロでは不健康である。

年末の風邪で体もまだなまっている。

散歩も兼ねて、電車を利用して久しぶり雑踏の中についていくことにした。

暖かい今はやりのヒートテックを買いたいと思って出発。

開店前の店も多く、お客が並んでいる店もあった。若い人の店が多く従業員なのか?

お客なのか見分けがつかない今時の大型ショッピングセンターである。

従業員通路も解放され、駐車場、駐輪場は車の列がすでに絶えない。

去年の体験を生かして、電車できてよかった。

店内広場では、武者姿のイベントにカメラをむける撮影会?が開かれていた。



昼食後、ぶらりカメラぶら下げ散歩。いた幸せの青い鳥?

まだ慣れないカメラ、どこだどこだと探すうちにさようなら!


巳年の元旦

2013年01月01日 | Weblog


 親父はこの近くから戦場ビルマ、今のミャンマーにたびだったと、おばあさん

から聞かされて育った。国のために戦ったという意味がわからないまま育ちすぎた

のかもしれない。しかし力になったのは、実像を知らない親父の分まで生きること

というこれまたわけのわからない目的?根性?だったような気がする。

そんな親父との対話の神社だったかもしれない。





玄関わきには山茶花一輪、大晦日の突風で葉が散り、蝋梅の甘い香りを放つ花が

現れた。

久しぶりの外出は、忘れ物が多い。

時計、携帯電話、カメラ、ハンカチ、マスクを持ったかテェックするも

肝心の去年の絵馬を忘れ引き返す。初もうでという、年が改まってしまった。

早めに帰宅、年賀状、テレビ番とオタッキー風出発の巳年元旦であった。