ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

今朝のアサイチで故郷浜松がシェア旅として

2021-02-18 15:00:44 | その他

 今朝の食事中に見ていたアサイチで僕の故郷の浜松がシェア旅として紹介されていました、今は横浜に暮らしてもう50年以上となっているので懐かしかった、浜松では浜名湖はよく知られているが、この放送では中田島砂丘を多く紹介していたが華丸大吉は知らなかったと、ほかには幻の佐久間線でのトンネル活用については僕が横浜に来てからだろうから知らなかった、あとは楽器の町や遠州織物などを、それらでの思い出話を少し、写真はテレビ画面を。

 浜名湖は干潮時の中洲で面白い写真などを見せていた、そんなことは今様風で昔は考えたこともなかった、鰻で有名ではあるがその実質生産量も僕の子供時代でその後にほかの地域に移ってしまった、今の日本一はスッポンじゃないかな、浜松を通過すれば必ず通るから浜名湖を知らない人はいないけれど、中田島砂丘のほうは意外と海に近いのに見えないから知らない人が多いみたい、鳥取砂丘よりも幅は無いが長さはもっとあると思う、ここが5月の浜松まつりの凧揚げ会場になったのは何時頃からだったか、僕の子供時代は北部の練兵場跡地だった、凧揚げは切りあいをするのでかなり荒っぽかった、子供には夜の御殿屋台の引き回しほうが楽しかった記憶がある。

                          

 次の佐久間線の工事と中止も僕がこちらで就職してからのことと思う、トンネルの活用も知らないのは当たり前かな、楽器についてはヤマハから始まってずっと有名であったが楽器博物館ができたのはずっとあと、でもここには旅の途中で数回立寄ったことがある、世界の楽器があって演奏もイヤホーンで聞けたのが面白かった、でも僕は楽器は何もできませんが。

                          

 遠州織物については一大生産地だったのを知っていた、今や大手車メーカーのトヨタやスズキなどは元は自動織機のメーカーだったはず、ホンダはエンジンの修理から始まり自転車に取り付けるポンポンで評判になり僕の親爺も取り付けてもらっていたのを思い出した、皆さんがやらまいか精神で発展していった、浜松城は出世城として出発点になったのかも。

 あと変な記憶としては町の中心を流れる川が青黒い流れだったこと、これは遠州織物と関係があったのかな、染料の排水が原因だと聞いた記憶がある、今だったら非難されていただろうがそれが普通の景色だった、そんなことを知る人は少なくなったはず、今や政令指定都市だからね。

 浜松だったらほかには餃子も有名になったが子供時代にはそんな記憶は無い、国鉄時代からのJR車両基地は有名で国鉄職員は教師並みに尊敬されていた、食材なら浜名湖や遠州灘の魚介類や養殖ものもPRする価値がある、子供時代に食べて一番の御馳走だったドウマン蟹が獲れなくなって久しいらしいがどうなったかなぁ。


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