ここからは寸又峡まで高速を利用してもあとの道のりがかなりあるから、一般道ではどういう道筋をナビが教えるかインプットしたら浜北、春野を抜ける通称秋葉街道、R362を使って本川根町に出る道を教える。そこから千頭に北上してその先15kmで寸又峡までは100km以上あるという表示に、もう2時過ぎなら出発しなくちゃぁと。
浜北から先は初めて走る道で、何か見つけたら少しは寄道したりするつもりで、それとガソリンも入れないといけないなぁと。僕は出光のカードを持っているからアポロマークのスタンドがないかと走ったのに、浜松IC手前から浜北北端のもうこの先は山道かというところまで全く見当たらない。そちらに気をとられて途中には秋葉神社の下社があったようなのだが素通りしてしまった、火鎮めの神様として有名だから各地に小さな祠なども見かけるその本宮で、昔その本殿が火災で燃えちゃったという笑っちゃうニュースを聞いたことがある、今は立派に復元しているはずだけど。なんてことを思い出しながら走っていたそんなときに道の駅いっぷく処横川という山里らしい小さな施設が現れて、それじゃぁ一服がてらこの先にスタンドがあるか聞いておこうと駐車。店の人はお婆さんばかりで要領を得ないものの、この先にもまだスタンドはあると言う、けれど石油会社はチンプンカンプンで分からない、まぁあるだけ聞けば安心していけるからまぁいいかと。その売店で女房が見つけて僕を呼んだのがハチミツ、600g瓶で1450円という安さに裏のラベルを見たら浜北の養蜂場名があって花の種類が百花となっている。これって国産でも花の種類が1種類だけの西洋ミツバチじゃなくて、貴重な日本ミチバチじゃないかと売店のお婆さんに聞いたらそうだという返事、これが西洋ミツバチだとしても国産ならかなり安いです、今小諸の人からもらったものを使っているけれど1本買い足して、後日も注文できるところをチェックしておいた。
日本蜜蜂は貴重品
道の駅から20分ほど走った場所に探していたアポロマークを見つけたのに休みなのか廃業したのか進入禁止ロープが、しょうがないとその先にあったキグナスで明日の静岡までの距離を考えて20lだけ給油、ここからはかなりの山道となってすれ違いスペースが所々にという細い急傾斜ばかりの峠越えとなる。でもこういう山奥だからほとんど対向車もなく案外にスムースで、ナビの到着予定時間がドンドン短縮される。峠を越えれば川根茶の本場となるのだが、こちら春野もお茶畑が日当たりがいい急傾斜に見られて、ここからズーッと先の静岡北部本山茶までの道筋は急峻の茶畑ロードと命名してもいいんじゃないかな。
春野側の山道にも茶畑が
ほとんどが杉の植林の中の細いクネクネ道の峠を越えれば本川根町になって、大井川沿いまで下ると何度も走っている金谷からのSLで有名な大井川鉄道と平行する道に出る。ここからは川沿いに北上して茶畑や杉林、いくつかの集落を抜けて大井川鉄道終着駅の千頭に、そこからは細い道を寸又峡まで、でも以前よりは多少は改修されてはいるからそんなには気を使わなくてもよくなったね。
大井川沿い開けた所に出る
本日の宿である翠紅苑(冒頭写真は正面全景)にはこの日も5時前に到着、寸又峡はもう6回以上は来ているがこの地の一番の老舗旅館であるこちらは初めて、女房が一度泊まってみたいと言っていて今回は6月末までの格安プランがあったからそれなら行こうということで。この温泉はダム工事の際に沈んだ小さな温泉に代わる源泉を探すためにボーリングして探し当て、40数年前にここの先代が周囲に呼びかけて温泉旅館を何軒かで始めたのが最初だと、以前に泊まった甚平の今は亡きお婆さんが話していた。この温泉地が全国区で有名になったのは1968年に起こった金嬉老事件、開湯からは数年後の事件で当時大ニュースとして紙面を賑した。そういえば刑に服したあと故国に戻って英雄視されたという金嬉老の死亡記事は今年だったね、その事件のふじみや旅館は翠紅苑の少し奥に今もあって旅館営業を続けている。
この宿の外観はよく見知ってはいたが内部は初めて、入ってみるとまずロビーから雰囲気の良い大正ロマン溢れる落ち着いた内装で、外観からは想像できない素晴らしさ、案内係に聞いたら昭和50年代の改装でこうなったのだそうだ。大正ロマン風は本館すべて、客室階の廊下まではレトロモダンの洋風、客室はモダン半和風、廊下で繋がる別棟と浴室棟は本館と違和感がない純和風蔵造りの雰囲気で全体の調和がとれている、さすがに寸又峡温泉の中では別格の旅館ですねぇ。廊下には要所要所に和紙のオリジナルデザインの照明も置かれていてこういうところも一級品だ。
ロビーには囲炉裏風設えも
レトロ洋風オシャレな階段 オリジナル和紙照明
まずは風呂にと、ここの泉質は美人づくりの湯という通りに入ればヌルツルの湯がまとわりつくアルカリ度が高い単純硫黄泉で、源泉温度42.7℃、PH9.1、蒸発残留物0.581gという表示があったが硫黄臭はかなりある、源泉は大井川上流4kmほど引湯しているから浴槽に注ぎ込む源泉は体温ぐらいの温度、温めが好きな僕はその近くでジックリ浸かる。浴室の拡張改装はしていないようでジャグジーとかサウナはありません、白珠の湯と書かれた風呂は大きな内風呂と露天風呂だけ、夜8時で男女入替えとなっていた。
夕食は6時ごろから、内容は山の幸中心で昨日の海の幸とは好対照、メインはヤマメ塩焼、ニジマスの黒酢餡かけというやや中華風と豚肉の朴葉味噌焼など、これに前菜風山の幸や山の幸お造り、五穀米蒸し物、煮物、小鉢類などに最後はお吸い物、漬物、お茶ゼリーのデザートと盛り沢山、この日も御飯は二人ともパスしたのは勿論である。有名な飛騨の朴葉焼が味噌とネギだけだけれどこちらは豚肉を焼く、朴葉の上で焼くと香りがついていいよね、ヤマメもイワナより品がいいかな、それと一品だけの中華風とか今の時期は新茶だから茶葉の天ぷらもあって工夫しているのがよく分かる。この日は宴会場では団体客がいたようだけれど、食事処のテーブルもほぼ埋っていて皆さんが同じ食事内容らしかった、内容、ボリュームともに上出来、年寄りにはもっと少なめでいんじゃないかな。ビールは中瓶、日本酒は初亀、喜久酔、志田泉、杉錦などの静岡あたりの地酒と島田の大村屋の吟醸などが置いてあったが、さすがに礒自慢はなかった。それと児童販売機やお土産売場で売っていたアルコール類は良心的な価格なのもご立派、老舗はこうでなくちゃね。
山菜中心の前菜で天ぷらは茶葉 お造り風に山の幸が
鹿肉刺身と山菜の酢あえ 煮物
豚肉の朴葉味噌焼 五穀米の蒸し物
ヤマメ塩焼 ニジマス黒酢餡
お茶、漬物、お吸い物、デザート
食後しばらくで男女入替え前にももうひとっ風呂浴びて、この日も早々とおやすみなさい。昨夜、第一日目の夜はいつもそうなんだけれど何故かウトウト半覚醒状態だったのに、この日はかなり歩いたこともあるけれどグッスリと爆睡して、温泉で暖まったか寝汗もかいたようだなぁ。
浜北から先は初めて走る道で、何か見つけたら少しは寄道したりするつもりで、それとガソリンも入れないといけないなぁと。僕は出光のカードを持っているからアポロマークのスタンドがないかと走ったのに、浜松IC手前から浜北北端のもうこの先は山道かというところまで全く見当たらない。そちらに気をとられて途中には秋葉神社の下社があったようなのだが素通りしてしまった、火鎮めの神様として有名だから各地に小さな祠なども見かけるその本宮で、昔その本殿が火災で燃えちゃったという笑っちゃうニュースを聞いたことがある、今は立派に復元しているはずだけど。なんてことを思い出しながら走っていたそんなときに道の駅いっぷく処横川という山里らしい小さな施設が現れて、それじゃぁ一服がてらこの先にスタンドがあるか聞いておこうと駐車。店の人はお婆さんばかりで要領を得ないものの、この先にもまだスタンドはあると言う、けれど石油会社はチンプンカンプンで分からない、まぁあるだけ聞けば安心していけるからまぁいいかと。その売店で女房が見つけて僕を呼んだのがハチミツ、600g瓶で1450円という安さに裏のラベルを見たら浜北の養蜂場名があって花の種類が百花となっている。これって国産でも花の種類が1種類だけの西洋ミツバチじゃなくて、貴重な日本ミチバチじゃないかと売店のお婆さんに聞いたらそうだという返事、これが西洋ミツバチだとしても国産ならかなり安いです、今小諸の人からもらったものを使っているけれど1本買い足して、後日も注文できるところをチェックしておいた。
日本蜜蜂は貴重品
道の駅から20分ほど走った場所に探していたアポロマークを見つけたのに休みなのか廃業したのか進入禁止ロープが、しょうがないとその先にあったキグナスで明日の静岡までの距離を考えて20lだけ給油、ここからはかなりの山道となってすれ違いスペースが所々にという細い急傾斜ばかりの峠越えとなる。でもこういう山奥だからほとんど対向車もなく案外にスムースで、ナビの到着予定時間がドンドン短縮される。峠を越えれば川根茶の本場となるのだが、こちら春野もお茶畑が日当たりがいい急傾斜に見られて、ここからズーッと先の静岡北部本山茶までの道筋は急峻の茶畑ロードと命名してもいいんじゃないかな。
春野側の山道にも茶畑が
ほとんどが杉の植林の中の細いクネクネ道の峠を越えれば本川根町になって、大井川沿いまで下ると何度も走っている金谷からのSLで有名な大井川鉄道と平行する道に出る。ここからは川沿いに北上して茶畑や杉林、いくつかの集落を抜けて大井川鉄道終着駅の千頭に、そこからは細い道を寸又峡まで、でも以前よりは多少は改修されてはいるからそんなには気を使わなくてもよくなったね。
大井川沿い開けた所に出る
本日の宿である翠紅苑(冒頭写真は正面全景)にはこの日も5時前に到着、寸又峡はもう6回以上は来ているがこの地の一番の老舗旅館であるこちらは初めて、女房が一度泊まってみたいと言っていて今回は6月末までの格安プランがあったからそれなら行こうということで。この温泉はダム工事の際に沈んだ小さな温泉に代わる源泉を探すためにボーリングして探し当て、40数年前にここの先代が周囲に呼びかけて温泉旅館を何軒かで始めたのが最初だと、以前に泊まった甚平の今は亡きお婆さんが話していた。この温泉地が全国区で有名になったのは1968年に起こった金嬉老事件、開湯からは数年後の事件で当時大ニュースとして紙面を賑した。そういえば刑に服したあと故国に戻って英雄視されたという金嬉老の死亡記事は今年だったね、その事件のふじみや旅館は翠紅苑の少し奥に今もあって旅館営業を続けている。
この宿の外観はよく見知ってはいたが内部は初めて、入ってみるとまずロビーから雰囲気の良い大正ロマン溢れる落ち着いた内装で、外観からは想像できない素晴らしさ、案内係に聞いたら昭和50年代の改装でこうなったのだそうだ。大正ロマン風は本館すべて、客室階の廊下まではレトロモダンの洋風、客室はモダン半和風、廊下で繋がる別棟と浴室棟は本館と違和感がない純和風蔵造りの雰囲気で全体の調和がとれている、さすがに寸又峡温泉の中では別格の旅館ですねぇ。廊下には要所要所に和紙のオリジナルデザインの照明も置かれていてこういうところも一級品だ。
ロビーには囲炉裏風設えも
レトロ洋風オシャレな階段 オリジナル和紙照明
まずは風呂にと、ここの泉質は美人づくりの湯という通りに入ればヌルツルの湯がまとわりつくアルカリ度が高い単純硫黄泉で、源泉温度42.7℃、PH9.1、蒸発残留物0.581gという表示があったが硫黄臭はかなりある、源泉は大井川上流4kmほど引湯しているから浴槽に注ぎ込む源泉は体温ぐらいの温度、温めが好きな僕はその近くでジックリ浸かる。浴室の拡張改装はしていないようでジャグジーとかサウナはありません、白珠の湯と書かれた風呂は大きな内風呂と露天風呂だけ、夜8時で男女入替えとなっていた。
夕食は6時ごろから、内容は山の幸中心で昨日の海の幸とは好対照、メインはヤマメ塩焼、ニジマスの黒酢餡かけというやや中華風と豚肉の朴葉味噌焼など、これに前菜風山の幸や山の幸お造り、五穀米蒸し物、煮物、小鉢類などに最後はお吸い物、漬物、お茶ゼリーのデザートと盛り沢山、この日も御飯は二人ともパスしたのは勿論である。有名な飛騨の朴葉焼が味噌とネギだけだけれどこちらは豚肉を焼く、朴葉の上で焼くと香りがついていいよね、ヤマメもイワナより品がいいかな、それと一品だけの中華風とか今の時期は新茶だから茶葉の天ぷらもあって工夫しているのがよく分かる。この日は宴会場では団体客がいたようだけれど、食事処のテーブルもほぼ埋っていて皆さんが同じ食事内容らしかった、内容、ボリュームともに上出来、年寄りにはもっと少なめでいんじゃないかな。ビールは中瓶、日本酒は初亀、喜久酔、志田泉、杉錦などの静岡あたりの地酒と島田の大村屋の吟醸などが置いてあったが、さすがに礒自慢はなかった。それと児童販売機やお土産売場で売っていたアルコール類は良心的な価格なのもご立派、老舗はこうでなくちゃね。
山菜中心の前菜で天ぷらは茶葉 お造り風に山の幸が
鹿肉刺身と山菜の酢あえ 煮物
豚肉の朴葉味噌焼 五穀米の蒸し物
ヤマメ塩焼 ニジマス黒酢餡
お茶、漬物、お吸い物、デザート
食後しばらくで男女入替え前にももうひとっ風呂浴びて、この日も早々とおやすみなさい。昨夜、第一日目の夜はいつもそうなんだけれど何故かウトウト半覚醒状態だったのに、この日はかなり歩いたこともあるけれどグッスリと爆睡して、温泉で暖まったか寝汗もかいたようだなぁ。