モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

2011F

2016-12-05 20:18:00 | 西武電車
鉄道関連の多くのサイトの情報によると、2011Fが廃車になったようです。
2011Fは1977(昭和52)年11月14日に所沢工場にて竣工いたしました。
ちょうど39年を過ぎたところでした。
方向幕の変更・側面取付、スカートの取付、正面Hゴムの白→黒変更、
側ドアガラスのHゴム固定→金属押さえへの変更、クーラーカバーの
変更以外はあまり大きな改造などはありませんでした。

思い出の2011Fの画像を振り返ってみたいと思います。
と言っても、2011Fとはっきり判るものは少ないのですが、
記録上、2011Fとしているものと言うことで…


1990年4月1日 12:00 下井草駅


2005年4月22日 14:48 所沢駅


2013年6月6日 11:23 新所沢駅


2013年11月11日 14:10 所沢駅 新2000系クモハ2527との連結面


2015年11月1日 16:04 東村山駅


2016年2月2日 13:32 東村山駅 右はクハ2406

そして、この2011Fは一時2405Fと共に池袋線で4ドア車導入の実験に
使われました。1990年の冬のことでした。
冬の着膨れラッシュによる遅延対策の為に実証実験が1ヶ月程行われました。




1990年2月12日 11:59 小手指車両管理所

上の画像は、小手指車両管理所で当時10000系レッドアローへの機器供出
の為に、501系が解体されているのを見に行き、踏切を渡って反対側から
駅に戻る時に留置されているのを撮影したものです。






1990年2月17日 09:11 所沢駅

実際に使用されているのを確認したく、5日後に改めて。
当時、当然2000系には池袋線の方向幕はコマが無く、余白部に「池袋」と
「小手指」のみ貼り付けられたそうです。

先日、県民の日に出かけた際に偶然乗った2011F


2016年11月14日 12:38 所沢駅

まさかそれから半月後に廃車と言うのも驚きであり、ショックでした。

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2 コメント

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Unknown (団塊鉄ちゃん)
2016-12-13 11:11:18
今日は。お邪魔いたします
池袋線4扉実証実験に供された編成だったのですね。
池袋線用とされた3000系も後には新宿線にも使われ
た事も有りましたから、結局中途半端な位置付けでした。
3000系ではなくN2000の新造が正解だったような気が
します。
2000系は登場時の青Hゴム・スカートなしの姿が美しか
ったですね。後年スカート取り付け後はスタイルが崩れ
ました。車内はパイプ類が煩く、運転室仕切りも閉鎖的
で101系前期の解放感はN101以後は喪失したのは残念
でした。
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Unknown (モハ1005-モハ1006-クハ2003)
2016-12-13 17:24:23
団塊鉄ちゃん様、ありがとうございます。
2000系による池袋線の実証実験はやはり良い効果が得られた
ようで、N2000系の増備となりました。
そもそも100両程度が特殊用途として生まれた2000系が
その後大量増備されたのはやはり、当時の遅延解消には
3ドア車の終わりが有効とされたからでしょう。
それにしても直前に造られた3000系は中途半端な存在
でしたね。8連固定では… 結局最終的に新宿線の各停が
一番似合っていたようなのも、皮肉なものでした。

あの頃から、かつては眺めの良かった前面展望がどこでも
出来なくなったのも… 国鉄103系のATC準、高運車なんか
最悪でしたね。もっとも当時の国鉄は前面展望の良い車両でも
乗務員室仕切りのカーテンを真昼間から下ろしていましたが。
京急は相変わらず前面展望が良いのは好ましいものです。
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