くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

再びウズベキスタン -5-

2016年03月25日 | Weblog
 
■2/25
市内見学の最後の日なので予め各見所のメトロからの距離方角とオープン時間をチェックしてどの順で回ったらいいのかを考えておいた。その結果、最初は朝9時からオープンする鉄道技術博物館へ行った。ここはタシケント駅のすぐ近くで大きな鳥居のようなゲートのある野外展示場で旧式機関車が並んでいる。入り口には誰もいなかったので勝手に入って写真を撮った。 マヘンドラが身長より大きな動輪があるぞと言って勧めていたが、鉄ちゃんなら垂涎の的かも知れない。大きな看板があって、どこやらで見たような高速車両の絵がでている。ウズベキスタン新幹線が話題になっているらしい。

次はチムール博物館。 1階のkassaに人がいないのでウロウロしていたら、売店のおじさんひドンドン窓を叩かないとでてこないよ、と言われそうしたらすぐにおばさんが現れた。6000スム(300円)。だんだん人が増えて来て、低学年の生徒が先生に連れられてたくさん来ている。韓国からの旅行客の一団も見かけた。

次はそこからアミール駅に戻り、そこからマイダニ駅に行って歩いて歴史博物館に行くのだが意外に簡単に行けたようだ。歴史博物館は4階が閉館だといわれたが入場料10000スム払って見る。古い時代の鎧かぶとや鎖帷子などアジアというよりヨーロッパの騎士風なのも面白い。やはりロシアに占領され、住民が反乱を起こして平定されるという歴史が展示の中でも中心になっているようだ。

昼になったのでチョルスバザールに行くことにした。やはりこの賑わいはタシケントならではの感じがする。去年食事した同じところでシャシリクを頼んだ。このミンチ風のやつはあんまり好みではない。18500スム。バザールをグルッとめぐると膨大な時間がかかりそうだ。肉売り場に行くと客が手づかみで肉を品見していて違和感があったが考えてみると手が空気にさらされた血や肉より清潔とは言えないし焼いて調理するなら衛生的に問題ないはずだ。探すと何が売られているか分からない面白さは僕のリサイクルショップ巡りと共通するものがあるかもしれない。

メトロ駅から乗って何番目かの駅で乗り込んだ男がちょうど前の席に座った。顔を合わせて驚いた。ベキゾの友人で一緒に来たタブロンじゃあないか 。奇遇、何でここにいるの?フェルガナに帰ったんじゃあなかったのか?

彼は韓国大使館に大学院への留学申請に来ていたのだ。家はフェルガナのちかくのマルギランだったと思うが家族を残してタシケントに来ている。僕は博物館めぐりも終えたし彼に付き合うことにした。アイベックで降りてマヘンドラに教えてもらったカフェへ行こうとしたが場所を見失ってしまったので近くの誰もいないレストランで二人でお茶を飲みながら話した。

彼の専攻はITを利用した教育プログラムの研究で、どうしてもマスターをとらないとポジションにつけないので韓国の大学院へ留学を希望しているという。どうしてウズベキスタンじゃあダメなのかはっきりしないが、やはり国外で家族と生活することを夢見ているのかもしれない。日本では彼はコンビニで働いていて奥さんはロシア系の美人だから子供を幼稚園に預けてホステスでもしていたのかもしれない。しかし、困ったことに子供が全くウズベキを話せないので今こちらの幼稚園で大変なことになってしまったという。周りがどうして話ができないのか皆で心配するだが、本人はわからなくてただ泣き出すばかりで困り果ているらしい。この点はベキゾの英語教育は自国語を習得してメンタリティを確立するまで待ってから始めるべきだという考えに軍配があがりそうだ。

韓国大使館に行くと同様な男女がたくさんいて順番待っている。この国には日本の在日のように韓国語が話せないウズベキ生まれの韓国人が沢山いる。彼は申請書を提出しようとするがどうもうまくいかないらしく、別の韓国語学校で申請することにしてそこへ一緒に行く。
 
時間があるので近くのレストランでシャシリクを注文。ここではミンチ風でないやつやレバーのものを食べた。遅くなったのでベキゾと連絡をとろうとするが買ったばかりの彼の携帯は電池切れ。やむなく周りの人に携帯を借りて連絡し後で二人で直接ベキゾの家へ行くことにする。

学校の担当者から申請期限が過ぎていて申請できない旨を聞かされ彼はがっくり。慰めながらベキゾの家に行くためタクシー(全くの普通のひとの車だが誰でもタクシーに早変わりだ)を捕まえた。すごく楽しい二人組みが乗っていて僕が変わったツーリストだとわかると、ロシア語やウズベキ語のとびかう珍妙なコミュニケーションがはじまった。タブロンも結構たのしんだようだ。

ベキゾの家に着くと既に彼が食事など作って準備していてくれて、彼の友人二人も加わって男ばかり5人で食事が始まった。奥さんと息子はちょうどおじいちゃんの所にでかけたところだったようだ。4人は日本で勉強しているので日本語が話せる。英語なら皆わかるのだがやはりウズベキとロシア語が中心になる。そのときは4カ国が普通に話されていたことになる。

タブロンには僕が司法試験を目指していたころアポロ計画の宇宙飛行士の平均年齢36歳を目標に頑張ったり10年ごとに人生を考え直して生きてきた話しをしたら、自分のお父さんみたいだと思ってくれているようで興味深く聞いてくれた。彼も、何事も手続きに手間ばかりかかるこの国のビューロクラシィに辟易しているくせに、自分の将来は権威的なエリートの道を行くしかないと思い込んでいるようなところがある。自分の足元を見て自分の能力を発揮できて本当にやりたいことを見つけられたらいいのにとおもう。

夜の12時までメトロは動いているし警備は厳重だから安心だが11時半になると動かなくなる電車もあるというので近くのチランザル駅までタクシーで行ってメトロに乗った。ところがちょっと慌てたのかパフタコールで乗り換えるところを一駅前のブニョードコルで降りてしまった。二、三人しか人のない ホームで次の便が来るのを心細く待つ時間のながいこと、、。やっとホテルに着いたときは12時をだいぶ過ぎていた。

サロクヒディンから明日の出発が8:30になるとの連絡がある。

   
 
 
   
コメント
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