くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

行政書士のおしごとII

2007年02月07日 | Weblog
■書士会の資料、広報類を見ているうちに行政書士として新しい分野が随分広がってきたなと感じた。メインの車庫証明、建設業許可申請も内容的に変わってきてる。車庫では土地地番と場所の特定にこだわらなくなったし、入会すればだれでもお金さえ払えば仕事がもらえるといういままでの制度は何も知らないものにとってはなにかの救いになるのかもしれない。

建設業は橋本先生が広報で書いているところをみると頑張っているらしいと思い、久しぶりで訪ねた。電子申請との関連で意見が聞きたかった。この分野は民間の経営分析機関が増え、結局ユーザーの経済的負担が増え、建設関連天下り機関の独占が若干緩和された。

書士会では「法テラス」にも力をいれようとするが多重債務者救済等には弁護士、司法書士の関連が強く行政書士では力不足の感があるのかもしれない。ADRは何の略だか知らないが裁判外紛争処理という分野は一番親近感を感じる。

外国人の在留許可等は敦賀の鈴木先生が定評がある。取次行政書士の研修がすぐあり、その申込期間が1月に終わっていたことに気づいてがっかりした。やはり広報誌はすぐ読んでおくべきだ。この分野は武生支部でこれから勉強させてもらうことになるだろう。

IT関連では、LLPのベンチャー企業への対応や著作権、プログラム登録、プライバシーマークなどけっこうありそうな気もするが、電子申請や個人情報保護関連は大きな方向として今後注目すべき分野だと思う。電子認証はちょっと考えておこう。

そして橋本君に僕の愛車を自慢げに見せびらかす。今日はこれが目的だった。
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行政書士のおしごと

2007年02月06日 | Weblog
■今日も車庫証明の依頼はなかったので午前中は1月分の請求書をまとめて発送する処理に忙殺された。最初の「ご挨拶」なので、当車庫証明センターの処理手順を説明する文書「ご挨拶」を請求書に同封した。その中で、行政書士に対する委任状をつけた依頼書の使用をお願いする一文をつけた。

現在、委任状を使った車庫証明業務をされている先生は永年個別受託で行政書士会と対立しながら業務を続けてこられた山岸行政書士だけである。この点は行政書士の申請代理権にかかわる非常に重要な点なのだが、20年たった今も申請書に申請者の印鑑をもらった書類をただ依頼書どおり書き写すという、全く非行政書士の申請と同じことをやっている。これでは、いつまでたってもディーラーからお仕事分けてくださいという立場から踏み出せない。

ま、しかし僕の昔の仕事の経験上、一番難しい書類は「委任状」だ。訴訟に関連する各種の裁判上の手続きは弁護士が包括的訴訟代理委任状をとっているから弁護士が簡単にできるが、個別の処理を手続きごとにやろうとすると個別処理の詳細を間違いなく簡潔に表示した委任状が必要になる。全てわかってないと書けない。他人のすることを代理してやることの難しさを感じる一瞬である。まさにプロの技が生きる場面だと思う。

そんなたいそうな委任状じゃあないけど、便利なんだわ。書き間違ったらいちいち三文判買って来て書き直すなんてくだらないことしなくてもいい。でも、会ったことのない申請者との直接の信頼関係が問われることになる緊張感は行政書士の自覚を高めると思う。今までの車庫センターのやり方では問題が起こった時にディーラーと行政書士の責任のなすりあいに終始していたといっていいんじゃないかな。よくしらないけど。

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ビジネス用ライフスタイル

2007年02月05日 | Weblog
■移動オフィスのビジネススタイルを貫くには半端な気持ちでは取り組めないことを身にしみて感じた一日であった。

今日は車に搭載した収納ケースの棚が飛び出さないように小さなフックをプラスチックケースに取り付ける工夫。1月分請求書発送準備。事務所用PCのHDD入れ替え。等々、、。ところが、事務所横に駐車したままでインターネット接続してアドレスソフトの使用ライセンスを購入しようとしてクレジットカードの番号を自宅に置き忘れたことに気づいた。すぐ戻ることにした。他になにをやっても始まらないから。つくづく移動オフィスは半端じゃないなと感じた。

車で仕事をするとは車ですべてやるということ。全て車にないと意味がないのだ。クレジットカードの他、通帳、賃貸借契約書、実印、辞書、電話帳、、、。自宅と事務所は単に骨休めだけの場所だ。

昔、他人の畑のスイカを盗りに行く話しを思い出す。現場に行くとスイカをかかえて持ち出すのではなくその場で食べてしまうのである。そんな感じに似ている。

書斎で本棚に囲まれて、音楽を聴き、お茶を飲みながら原稿を書くというような生活はもうない。滞米生活中、常に意識したこと。それはいつでも一人で飛び出せるように物を溜め込まないこと。コレだけはというものをいつも身近に置くこと。そんな緊張感を思い出した。仕事を車でするということは車で生活する以上のものであることを実感した。生活を車でするには生活時間にあわせればよいが、仕事をする場合は仕事の時間にあわせなければならない以上、生活を含めたすべてを車内で調達しなければならないのである。

逆に、家では仕事を一切しないというスタイルが定着しそうだ。飯食って、テレビを見て、そしてブログをかいて寝るだけである。もう寝よう。
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ワゴンの名前

2007年02月04日 | Weblog

■テレビの話題。氷川きよしファンのときめきによる脳の活性化はドーパミンの分泌をうながし、健康になるらしい。ときめきの興奮はストレスを減少させるんだそうです。

7月生まれの運勢。今年は人脈を広げ大切な友人を作る1年。趣味が収入につながるとか、、。あたってるような。

スカイプで多賀君と話してるうちに自慢のマイオフィスワゴン「ワナニコレー号」を見せびらかしたくて彼の家に出かけた。

さっき考えたワゴンの名前「ワナニコレー号」とは、人にワゴンのスライドドアを開いて見せると「わっ、何これ!」という人が多いから。 2月3日は北北西の方向をむいて物も言わずに太巻きを食べるんだそうだ。そういうことはいままで知らんかった。

だいこんもいっぱいもらって帰る途中、ガソリンがなくなって立ち往生。近くにスタンドもなく、聞いてみると配達してくれるスタンドもないみたい。そこで初めてJAFを利用してみることにした。2,30分待つとロードサービスの車が到着した。

ガソリン10リットル1400円。JAFの車ってかっこいいな、あれコンピュータ?てきいたら、ナビでした。でも山の中などの田舎道ではしんようできないとか。「ワナ二コレー号」のコンピュータ住宅地図システムの勝ち!

昨晩は月末で少ない仕事を片付けてから「健康の森」でエキササイズに一泳ぎ。身も心も久しぶりにスッキリしたせいか、気分がいい。よすぎてゆっくりしすぎて今日は1日が終わってしまった。 BookOffで六法全書を買った。きっと行政書士の仕事になくだ

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関連業務

2007年02月02日 | Weblog
■車庫証明の仕事で調査する場所を間違えた。どうもおかしいと言うのでもう一度確かめたら隣の場所だった。現実の場所と地籍との違いをチェックするシステムがないのでこういう間違いが避けられない。間違えればそのままになってしまう。

現に同一承諾者の別の地籍には実際は2台しかないスペースに5台の登録がなされている。境界がわからないので隣の他人の地番も含めたスペースに駐車することになっている。他人の場所に駐車することになるからその他人が車庫証明をとることができないように思うがそうならない。なぜなら、実際は車は別の場所に駐車しているのだから。申請者は一体どこに自分の車庫証明がされているかも知らない。それが現状だ。

くだんの承諾者は自宅の車庫が空いているにもかかわらず他人の車が駐車されている登録になっていることを知ってビックリ。承諾しても地籍がどうなっているか確認していないので申請者が空いている他の地籍で名目だけの車庫証明を取っていても知らないし、実際は車が廃車になっても登録が残ったままになっていることもしょっちゅうだ。

こんないいかげんな申請だからトラブルが生ずるとまた申請やり直しは毎度のこと。距離が遠いと往復時間が大変で仕事にならない。やり直し、訂正処理の手間賃は誰に請求したらいいのか?

事情を知った承諾者のおばあちゃんから「ちゃんとしたことを一度調べてください」と言う話になった。そこで今日も仕事はなかったがおばあちゃんのところまでわざわざ行って報告すると手数料を払ってくれた。話し好きのおばあちゃんと2.3時間世間話をして戻る。一人暮らしの高齢者にとってはいろんな手続きなど行政書士に頼みたいというような仕事は結構あるかもしれない。
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科学第一主義

2007年02月01日 | Weblog
■友人が癌宣告をうけたので、励ます意味で僕自身の秘密療法の経験を話そうとおもった。かの友人は名医や相談にのってくれる医者の弟がいる。そして、その弟さんは科学第一主義だそうだ。そこで考え込んでしまった。話していいかどうか、、。

余命1月といわれた末期がんの母に丸山ワクチンを使うために医者と対立した記憶がよみがえった。打つ手がないといいながら副作用の少ない、危険のないワクチン使用をなぜ許可してくれないのか?要するに科学的でない、、。

穏やかに患者に対するときとは全く別人のような態度で、立場上そのような療法を許可できないとはっきりいわれたときは信じられない思いだった。名医の立場上、信用できない医者の療法をみとめられない、という意味だということに気がつくまで相当時間がかかった。

科学的云々は、いわゆる信頼される医者の評価に関連することで、患者にとっては意味がない。効くかどうかだけが重要で、なぜ効いたかは2次的な問題である、というのが僕の考え。科学的云々は医者の世界で少数者を村八分にする手法だ。打つ手がないというなら医者の論理を患者に押し付けるな、、。という気持ちだった。

その母が丸山ワクチンだけで3年半延命した。大変貴重な経過だと思うが公的な記録はなにもない。注射だって僕が母に打ってたのだから。

その後、旅で知り合った何人かの医者はそんな医者ではなかった。いろいろ不思議なことを教えてもらった。その中でも1番効果があったのが、くだんの秘密療法。もったいつけないで言えば「飲尿」。効くか効かないかは人による。というならやってみるしかない。なぜ人気がなくデータの蓄積がないか?それは実践者以外はだれにも利益をもたらさないからだ。

あるアメリカ人の友人からその秘密は絶対口外しないようにと念を押されていた。「きっとどんな女性もキスしてくれないから」
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