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石那坂の戦いで頼朝軍と戦った五十部の豪族・伊賀良目高重の
念持仏を、その子孫が1521(大永元)年に岩谷の岩窟に安置したのが
岩谷観音のはじまりだといわれています。
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現在は、信夫山東麓の岸壁に半浮き彫りされた
60体余の磨崖仏(まがいぶつ)群の総称。
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その中心をなすのは西国三十三観音礼所に準じた33体の
観音像ですが、風化や摩滅も進んでいて、
いつの頃から彫られてきたものか定かではありません。
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年号の読み取れるもので最も古いのは、1709~10(宝永6~7)年
にかけてのものとなっています。
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信達準坂東(しんたつじゅんばんどう)三十三観音第3番の礼所でもあります。
(福島シティガイドより)
あちらこちらに 大小さまざまな彫りものがあり
岩の上を歩くのも気を使いました
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高い所にもあったりで 彫るにも大変だっただろう等と思ったり・・