久しぶりに晴れた週末
はじめて「いわき」に行ってみました。
最初に寄ったのが 『勿来の関』(なこそのせき)
5世紀に作られたこの関所は、同時代に作られた白河の関、念珠ヶ関
とならんで ”奥州三古関”と呼ばれている。
”来る勿れ”という意味を持つ地名は、この地が、 古代蝦夷人たちが住んでいた
蝦夷地への入り口であったことを今に伝え、現在も、 関東と東北との境となっている。
(勿来の関HPより)
勿来関は、平安時代の武将源義家の「吹風をなこその関と思えども・・」の
和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、おなじみの
歌人も和歌に詠んだ有名な歌枕です。
江戸時代には、水戸と磐城、相馬、仙台をつなぐ浜街道にそって
いくつかの宿場があり、勿来町にも関田宿という宿場町が形成されていました。
勿来関文学歴史館からは、すぐそばに海がみえました
さすがいわき 暖かいのですねぇ 紅梅が満開!
見るめかるあまのゆきゝの湊ぢに
なこその関もわがすへなくに
小野小町
(勿来関を置いて「会いに来ないで欲しい」なんて言ってないのに
どうして会いに来てくれないの)
吹く風をなこその関とおもえども
道もせにちる山桜かな
源義家
(花を散らして吹く風は勿来関には来ないはずなのに
道いっぱいに散っている山桜だなあ)
勿来関文学歴史館内
たくさんの和歌が書かれたものが 趣向凝らして展示してありました。
奥州三古関 のひとつに行ったので残りの 白河の関、念珠ヶ関
にも行ってみたくなりました。
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最初に寄ったのが 『勿来の関』(なこそのせき)
5世紀に作られたこの関所は、同時代に作られた白河の関、念珠ヶ関
とならんで ”奥州三古関”と呼ばれている。
”来る勿れ”という意味を持つ地名は、この地が、 古代蝦夷人たちが住んでいた
蝦夷地への入り口であったことを今に伝え、現在も、 関東と東北との境となっている。
(勿来の関HPより)
勿来関は、平安時代の武将源義家の「吹風をなこその関と思えども・・」の
和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、おなじみの
歌人も和歌に詠んだ有名な歌枕です。
江戸時代には、水戸と磐城、相馬、仙台をつなぐ浜街道にそって
いくつかの宿場があり、勿来町にも関田宿という宿場町が形成されていました。
勿来関文学歴史館からは、すぐそばに海がみえました
さすがいわき 暖かいのですねぇ 紅梅が満開!
見るめかるあまのゆきゝの湊ぢに
なこその関もわがすへなくに
小野小町
(勿来関を置いて「会いに来ないで欲しい」なんて言ってないのに
どうして会いに来てくれないの)
吹く風をなこその関とおもえども
道もせにちる山桜かな
源義家
(花を散らして吹く風は勿来関には来ないはずなのに
道いっぱいに散っている山桜だなあ)
勿来関文学歴史館内
たくさんの和歌が書かれたものが 趣向凝らして展示してありました。
奥州三古関 のひとつに行ったので残りの 白河の関、念珠ヶ関
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