前回「自分の親とは決定的なところに違いがあると思いました」のつづき
それは「石川遼パパ」の話の内容を読んで「子育てをしている」ということでしようか
自分の子を虐待したり、捨てたり、殺したりする親は論外として、「衣・食・住」を満たしている育
てるではなく、「意志」を持って「子育て」をしていると感じました
時代、親の育った環境そのほか色々と条件は違うけれど、子を育てるという事は同じだと思う
自分のDNAを与え、名前を与え、衣・食・住を与え、それを最大限に生かせるよう育てる
一瞬ですが、石川遼パパの話を読み漁るうち、始めて子育てをしてみたかったなぁ~と思いま
した
そして、決して石川遼君が特別ではなく、普通の男の子であることを感じました
ただ、幼くして一生をかけて行くものが見つかったということが、やはり特別といえば特別なの
かもしれませんね
その環境と選択肢をセッティングしたご両親にを送りたいです
私にはそんな環境もなかったし、経験する場もありませんでしたが
私も知らなかったのですが、私の住む町のお隣「廿日市」がなんと『今のけんだま発祥の地』だ
ということです
木材をたくさん扱っているのは今もそうなんですが、それによって、剣と玉だったものに、皿を
つけ、今の形にしたのだそうです
しらなんだぁ~
親が違いますからね~
うちは、ちょうど思春期の娘。なかなか手ごわいし、憎たらしいのです・・・
「遼君は反抗期はなかったのですか?」と質問がありました
そのとき遼パパは「ありましたよ、今もそれは続いている」と言って場内をわかしたそうです
そして遼パパの次の言葉は「とても腹立つけれど、成長の証だと思っている」とのことでした
言うは安し、行なうはがたしですが、自分を振り返ったときうなづけます
ただ、それを素直にあらわせる環境と性格が私にはうらやましいかな?!
私は親が怖くって心にいっぱい渦巻いていても、あらわすことがありませんでした
又、あらわせない性格だったのでしようね
それでも真っすぐに成長する人もいますが、私の場合は捻じ曲がってしまいましたね
不幸なことです
だから目いっぱい受け止めてあげてくださいね
親だから、年上だから、人生の先輩だから・・
そして、反抗を表に出せない場合もあるのですね・・・
私、未熟者なんで・・・それを受け止められるか・・・不安ですが・・・
自分がどうだったか、全く思い出せないのです
相方のおかげで結婚は幸せです
でも、木が自然環境の歴史を刻んで成長するように、成長段階で埋まらなかったところは、後では永遠に埋まらないのではと思います
がんばってね