[Autographed pictures by Ms. Connie Francis and her letter]
★『コニー・フランシス』は1938年米国ニュージャージー州生まれ。1950年代後半、1960年代前半に大ヒット曲を連発。ビルボード・ヒット100に53曲もの歌が掲載された音楽史上、最も活躍した女性シンガーの1人。
★『ビルボード』は1894年に創刊されたアメリカ最大の音楽週刊誌。世界で最も権威のある音楽ヒットチャートとして毎週順位を発表。ビルボード・ヒット100 (Billboard Hit 100) は世界で最も流行している100曲を掲載。
最近のテレビ・コマーシャルやドラマ、あるいは映画で、50~60年前にヒットした音楽がBGMとして使われているのが顕著になってきた。そこで思い出したのが、1960年初期、自分が未だ世間を全く知らない中学生の頃、大変軽快なポピュラー音楽に魅了された。当時のラジオ、テレビから流れる中尾ミヱ、伊東ゆかり、弘田三枝子、森山加代子らの若手歌手による心地よいメロディに大変感動したのだ。
「カラーに口紅」"Lipstick On Your Collar"
「ボーイハント」"Where The Boys Are"
「大人になりたい」"Too Many Rules"
「ヴァケイション」"Vacation"
「可愛いベイビー」"Pretty Little Baby"
「渚のデート」"Follow The Boys"
「夢のデート」"Someone Else's Boy"
「ロリポップ・リップス」"Lollipop Lips"
などなど、誰がこんなウキウキするようなオリジナル曲を歌っているのかが大変気になった。後に分かったのが、すべて「コニー・フランシス」という米国歌手がオリジナル曲を歌い世界で大ヒットしていたのだった。それからというものは、このシンガーの大フアンになった。
中学2年生の時、彼女のレコードジャケット(表紙)の写真は知っていたが、何とか彼女のブロマイド bromide (俳優・歌手などの肖像写真)を送ってもらおうと何も考えず、夢中でファンレターをたどたどしい英語で書いて送った。何度も何度もエアーメールを送り続けても、また何ヶ月たっても全く返事が来ない。当たり前の話である。世界の大スターが1日に来る何千、何万通のファンレターを読むはずがない。それでも、無知と言うか無謀にもアイドルスターの写真が欲しく色々自分なりに考えた。「どうやって、写真を手に入れようか?」当時、文房具店には航空便の大きな封筒など一切置いていなかった、というよりは日本では作られてはいなかった。そこで大きなボンド紙を1枚買って大きな封筒を作り、赤と青のマジックペンで手製航空封筒の出来上がり。こんな大きな封書をもらって開けない筈はない、と。案の定、数か月後、彼女から直筆の手紙(正確にいうと、彼女のロゴマークの入った便箋にタイプライターで打った文章と直筆の署名入り)と大きなサイン入りのブロマイドが届いた。「ジャスト アンビリーヴァブル! Just unbelievable!」 有頂天になった(I was beside myself with joy!) ことは言うまでもない。彼女が78才になった現在でも彼女のフアンであり、その手紙も大事にとってあるが、残念ながらインクのサインは60年近くたった今、消えてしまった!
■ビルボード100に掲載された名曲53は、
★1958年
Stupid Cupid (チャート順位17位・#17)
Fallin' (#30)
★1959年
My Happiness (#2)
If I Didn't Care (#22)
Frankie (#9)
Lipstick on Your Collar (#6)
You're Gonna Miss Me (#34)
Plenty Good Lovin' (#69)
God Bless America (#36)
★1960年
Among My Souvenirs (#7)
Teddy (#17)
Mama (#8)
Jealous Of You (#19)
Everybody's Somebody's Fool (#1)
Malaguena (#42)
My Heart Has A Mind Of Its Own (#1)
Senza Mamma (#87)
Many Tears Ago (#7)
★1961年
Hollywood (#42)
Where The Boys Are (#4)
No One (#34)
Breakin' In A Brand New Broken Heart (#7)
Too Many Rules (#72)
Together (#6)
Dreamboat (#14)
★1962年
Baby's First Christmas (#26)
When The Boy In Your Arms (#10)
Don't Break The Heart That Loves You (#1)
Second Hand Love (#7)
Vacation (#9)
He Thinks I Still Care (#57)
I Was Such A Fool (#24)
★1963年
Al Di La (#90)
I'm Gonna Be Warm This Winter (#18)
Follow The Boys (#17)
If My Pillow Could Talk (#23)
Drownin' My Sorrows (#36)
Your Other Love (#28)
★1964年
In The Summer Of His Years (#46)
Blue Winter (#24)
Be Anything (#25)
Looking For Love (#45)
Don't Ever Leave Me (#42)
★1965年
Whose Heart Are You Breaking Tonight (#43)
For Mama (#48)
Wishing Was You (#57)
Forget Domani (#79)
Roundabout (#80)
Jealous Heart (#47)
★1966年
Love Is Me, Love Is You (#66)
Spanish Nights And You (#99)
★1967年
Time Alone Will Tell (#94)
★1969年
The Wedding Cake (#91)
なお、ビルボード・ヒット100の歌手10傑(1958~2016) は,
(1)ビートルズ (The Beatles 1960~1970) チャート掲載曲数65曲
(2)マドンナ (Madonna 1958~ ) 59曲
(3)エルトン・ジョン (Elton John 1947~ ) 62曲
(4)エルヴィス・プレスリー (Elvis Presley 1935~1977) 49曲
(5)マライア・キャリー (Mariah Carey 1969~ ) 42曲
(6)スティーヴィー・ワンダー (Stevie Wonder 1950~ ) 55曲
(7)ジャネット・ジャクソン (Janet Jackson 1966~ ) 32曲
(8)マイケル・ジャクソン (Michael Jackson 1958~2009) 44曲
(9)ホイットニー・ヒューストン (Whitney Houston 1963~2012) 40曲
(10)ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones 1962~ ) 57曲
なので、如何にコニー・フランシスが偉大だったかが分かる。
彼女のスペ イン語の歌
"Te Quiero, Dijiste"
"Solamente Una Vez" や、
イタリア語の歌
"Anema E Core"
"Arrivederci Roma"
"Ciao Ciao Bambino" も
好きである。
又、クリスマス・ソング
"The Twelve Days of Christmas"
"Silent Night, Holy Night"
"Winter Wonderland" も
美しい声・発音の魅力ある曲だ。
映像で言うと、彼女が出演したハリウッド映画は4本あり、日本の映画館でもかなりの観客を動員した。
[Where the Boys Are] 日本語名「ボーイハント」(1960)
[Follow the Boys]「渚のデート」(1963)
[Looking for Love]「ハートでキッス」(1964)
[When the Boys Meet the Girls]「青空のデート」(1965)
ちなみに1958年から2017年現在までに外国語でビルボード第1位になった曲はたった6曲しかなく、1963年の3週間連続で1位になった日本語の歌、坂本九の「上を向いて歩こう(英語名 "Sukiyaki")」がレコード販売1億3,000万枚で世界で最も売れた曲の1枚に記録されているのは快挙で、大変素晴らしい事である。(他の外国語の歌に、イタリア語の「ボラーレ "Volare"="Nel Blu Dipinto Di Blu"」by Domenico Modugno、スペイン語の「ラ・バンバ "La Bamba"」by Los Lobos、フランス語の「ドミニク "Dominique"」by the Singing Nunなどがある。)■YS
追伸:坂本九の「上を向いて歩こう=Sukiyaki 」は1981年、グループ「A Taste of Honey」のジャニス・マリー・ジョンソン (Janice-Marie Johnson) によって英語で歌われ、ビルボード 100 の3位に上りつめて、世界中で再び脚光 spotlight / limelight を浴びた。</span>
■YS