画像は今から6年前のこの記事で使ったもの。ご存知の方もいらっしゃると思うが、深夜アニメ『今日の5の2』のOP曲とEDで使われた事がある曲が収録されたCDである。CDラックの片隅で眠っていたのを引っ張りだして2曲とも聴いてみた。
↑こんなだったっけ、と、ああ、こんな感じだったな、と聴きながら思えた。何時かに書いたような気がするが、今もED曲として使用された“secret base ~君がくれたもの~”
と言う、もとは、whiteberryと言っただろうか?有名女性グループアーティストが歌ったもので、それを『今日の5の2』で主要キャラクター達の声を演じた女性人達が“Friends”と言う名前と称してカバーしたものである。カラオケでも歌えた記憶があるが今も歌えるのだろうか?原曲のCD音源を持っていない私である。その所為もあって、“Friends”のカバーのが良いなと思えたのかもしれない。OPの『ニセモノ』は、そんなでもなくて。でも、バタバタ感ある感じの曲は決して悪くはない。
↑こちらは、アニメ『今日の5の2』の原作漫画である桜場コハル著『今日の5の2』(講談社 2008年版のもの)。コミックの初版は2003年とあったので、今から12年前の作品。そんな昔だったんだ~と本を見てビックリ。ちなみに、アニメは2008年で今から7年前の作品だったらしい(ウィキペディアによる)。
原作漫画本があると、内容を思い出す事が出来て便利だな、と思うが、割りと萌えの要素がある作品だな、とこんな時になって思うけれど、このアニメ作品を観ようと思った切っ掛けは単純に、ストーリー展開が良いなと思った事とそこにあらわれる人間模様が良いなと思ったから――と書いても言い訳がましいが、そんな感じだった。
↑『今日の5の2』の主要キャラクター達。コミックを読んでいくと、主人公とおぼしき、佐藤リョータの女難のそうみたいなのが割りと見てとれる。佐藤リョータがほんの些細な騒動に巻き込まれると言う感じで、苦労が絶えないな、とも思うが、そんな中での人間模様は良いなと思う。最後の方は「そこには何時も恋がある」と言うものが折り込まれ、単なる萌え系で終わると言う訳でないのも一興であった。
私はこの主要キャラクターのうち、ボーイッシュの平川ナツミが良いなと思った。活発で可愛いげのある所が良いなと思いつつも、3次元のリアルでいたら、付きあえきれないだろうな、と思うし、相手にもされないだろうが。
過去にやった深夜アニメなのに、この作品に関する感想は私が調べた限り、このブログでは書いていない感じがして意外だった。ざっと観ただけだからかも知れないが。
私も小学校時代に、「5年2組」に在籍した過去があるが、とんでもない時になってしまったので、思い出したくはないあの頃である。そもそもその思い出したくない事が、「破滅した今」を呼んだんだろうとは思うが。そのあたりから、私は自分の住む街や周囲の人間が嫌い(私自身が嫌われものだったからにそれは他ならない)になっていったのは違いない。本来ならば、楽しくて楽しくして仕方ない筈の季節の筈なのに――と思う。小学校5年の時って何してたっけ?と思うがテレビゲーム三昧だっただろうか?その頃になって俄のドラクエ熱に目覚めたような気がするが、不健全だな、と思うけれど、その当時から友達がおらず、ろくに遊んだ記憶がない。なんと言うことだろう、と思うが嘘ではない。自分の理解者ってなかなか出来ないなあ、と思う。友達が欲しい、と思い始めたのはその頃が発端で、きっとこの世界のどこかにきっと私と手をとってくれる人がいる、友達が居る――と己の人付き合い能力の低さも知らずに。思い返せば笑ってしまう。
対人トラブルが始まり、泥沼化が始まるのもその頃だった様に思う。何がいけなかったのは、未だに解らない。そのあたりの過去があるから、人間模様が色濃い、友情物語に恋愛物語が好きになったのかな、とも思う。後の時代に、出会い手に取り気に入った物語を眺めてみると。
話が大幅にそれるが、冒頭で紹介したこの投稿記事には、記事投稿をした当時、付き合いのあった人からのコメントがあり、こんなことあったんだ~と思った。無論、その人とも後に付き合いを断ち切る事になる。嫌いになった訳でも憎くなった訳でもないけれど、私はその方と付き合ってはならない、もっと言えば友人であってはならない、と思えたからにある。もともと、その方は、破綻させたオフ会のメンバーのひとりの友人であった。その方の友人でありオフ会メンバーだった方より、私とは付き合いきれない、と言われてしまい、余計に、この投稿記事にコメントをくれた方との付き合いを相手の意思に関係なく私の独断で断ち切りたくなったのがある。色々よく尽くして下さったのに、申し訳ないが。
深夜アニメ『今日の5の2』が放送されていた頃から、少しずつ、もう友達なんていらないし、付き合えもしないや、と言う思いが身辺の環境の変化もあって、ひとりで居ることに慣れて来てしまった。何を言っても何をしても、伝わらず、伝えられず、理解もされない自分自身に気付いたのもある。確かに淋しくはあるけれど、それで、良い。淋しいのが私に似合う何かなのだ、と思うから。
↑こんなだったっけ、と、ああ、こんな感じだったな、と聴きながら思えた。何時かに書いたような気がするが、今もED曲として使用された“secret base ~君がくれたもの~”
と言う、もとは、whiteberryと言っただろうか?有名女性グループアーティストが歌ったもので、それを『今日の5の2』で主要キャラクター達の声を演じた女性人達が“Friends”と言う名前と称してカバーしたものである。カラオケでも歌えた記憶があるが今も歌えるのだろうか?原曲のCD音源を持っていない私である。その所為もあって、“Friends”のカバーのが良いなと思えたのかもしれない。OPの『ニセモノ』は、そんなでもなくて。でも、バタバタ感ある感じの曲は決して悪くはない。
↑こちらは、アニメ『今日の5の2』の原作漫画である桜場コハル著『今日の5の2』(講談社 2008年版のもの)。コミックの初版は2003年とあったので、今から12年前の作品。そんな昔だったんだ~と本を見てビックリ。ちなみに、アニメは2008年で今から7年前の作品だったらしい(ウィキペディアによる)。
原作漫画本があると、内容を思い出す事が出来て便利だな、と思うが、割りと萌えの要素がある作品だな、とこんな時になって思うけれど、このアニメ作品を観ようと思った切っ掛けは単純に、ストーリー展開が良いなと思った事とそこにあらわれる人間模様が良いなと思ったから――と書いても言い訳がましいが、そんな感じだった。
↑『今日の5の2』の主要キャラクター達。コミックを読んでいくと、主人公とおぼしき、佐藤リョータの女難のそうみたいなのが割りと見てとれる。佐藤リョータがほんの些細な騒動に巻き込まれると言う感じで、苦労が絶えないな、とも思うが、そんな中での人間模様は良いなと思う。最後の方は「そこには何時も恋がある」と言うものが折り込まれ、単なる萌え系で終わると言う訳でないのも一興であった。
私はこの主要キャラクターのうち、ボーイッシュの平川ナツミが良いなと思った。活発で可愛いげのある所が良いなと思いつつも、3次元のリアルでいたら、付きあえきれないだろうな、と思うし、相手にもされないだろうが。
過去にやった深夜アニメなのに、この作品に関する感想は私が調べた限り、このブログでは書いていない感じがして意外だった。ざっと観ただけだからかも知れないが。
私も小学校時代に、「5年2組」に在籍した過去があるが、とんでもない時になってしまったので、思い出したくはないあの頃である。そもそもその思い出したくない事が、「破滅した今」を呼んだんだろうとは思うが。そのあたりから、私は自分の住む街や周囲の人間が嫌い(私自身が嫌われものだったからにそれは他ならない)になっていったのは違いない。本来ならば、楽しくて楽しくして仕方ない筈の季節の筈なのに――と思う。小学校5年の時って何してたっけ?と思うがテレビゲーム三昧だっただろうか?その頃になって俄のドラクエ熱に目覚めたような気がするが、不健全だな、と思うけれど、その当時から友達がおらず、ろくに遊んだ記憶がない。なんと言うことだろう、と思うが嘘ではない。自分の理解者ってなかなか出来ないなあ、と思う。友達が欲しい、と思い始めたのはその頃が発端で、きっとこの世界のどこかにきっと私と手をとってくれる人がいる、友達が居る――と己の人付き合い能力の低さも知らずに。思い返せば笑ってしまう。
対人トラブルが始まり、泥沼化が始まるのもその頃だった様に思う。何がいけなかったのは、未だに解らない。そのあたりの過去があるから、人間模様が色濃い、友情物語に恋愛物語が好きになったのかな、とも思う。後の時代に、出会い手に取り気に入った物語を眺めてみると。
話が大幅にそれるが、冒頭で紹介したこの投稿記事には、記事投稿をした当時、付き合いのあった人からのコメントがあり、こんなことあったんだ~と思った。無論、その人とも後に付き合いを断ち切る事になる。嫌いになった訳でも憎くなった訳でもないけれど、私はその方と付き合ってはならない、もっと言えば友人であってはならない、と思えたからにある。もともと、その方は、破綻させたオフ会のメンバーのひとりの友人であった。その方の友人でありオフ会メンバーだった方より、私とは付き合いきれない、と言われてしまい、余計に、この投稿記事にコメントをくれた方との付き合いを相手の意思に関係なく私の独断で断ち切りたくなったのがある。色々よく尽くして下さったのに、申し訳ないが。
深夜アニメ『今日の5の2』が放送されていた頃から、少しずつ、もう友達なんていらないし、付き合えもしないや、と言う思いが身辺の環境の変化もあって、ひとりで居ることに慣れて来てしまった。何を言っても何をしても、伝わらず、伝えられず、理解もされない自分自身に気付いたのもある。確かに淋しくはあるけれど、それで、良い。淋しいのが私に似合う何かなのだ、と思うから。