↑この作品は、1981年12月に出たらしいが、まさか34年経過して読むことになるとは思いもしなかった。
作者は、記憶力良かったんだろうな、と思いつつ、原稿の締め切りに追われてたと言う話もあって、もしかして一部で話を作って語っている所もあったりして――と思えるくらいに沢山の事を覚えている人なんだな、と思う。作者の父親が転勤の多い仕事についていた事も起因して、過去の事を覚えているのだろうか?小学校時代の記憶が部分的に鮮明でそれが結構あると言うのは凄い上に、記憶に残るくらいの事が沢山あるのは羨ましい限り。
平易でやわらかみのある文章で構成されてはいても、これを私が10代の頃に読んでも、ピンと来ないだろうな――と読んでみて思う。作者が生きた時代の背景をはじめとする何らかの予備知識がないと、想像出来ないものがあったりしたように思えた。
黒柳徹子氏に森光子氏と親交があった事が書かれているが、意外な人と付き合いがあったんだなあと思う。テレビ・ラジオ関係の台本制作をしていた作者なので、繋がりがあっても不思議ではないが、驚いた。
それにしても、何と人間らしい可愛らしさがある作家さんだったんだなあと思えるくらいのものがこの作品を読んでみて思えた上に、それこそ、徹子の部屋に出演して、黒柳徹子氏と対談したら、絶対に笑える話を幾つもしてくれそうな感じした。絶対にこの人は面白いに違いない、と思える感じがするのは何故だろうか。この作品、読んでいて、1、2回は小さく笑ってしまえる物があったのは、その様に仕向けて書いたのだろうか?
生前、乳癌を患っていた作者の様で、そんな事が――と作者あとがきにそんなビックリな話があった。そんな昔からあるものとは露知らずであった。
↑昨日151102のこのブログ『急行特急は行く…』の人気記事ランキングは御覧の様になった。
先ほど、ちらっとニュースで、トロピカルサイクロン・チャパラの話が出たがアラビア半島への影響が出てしまったそうだ。滅多に来ない地域にトロピカルサイクロン・チャパラは行ってしまったようだ。砂漠の傾向がある地域らしく大雨による災害が出てしまったらしい。
文化の日なので、



ラジオのそれを引っ張ってみたが、自己満足で終わった。文化放送、日頃は聴かないラジオ局。
↑深夜アニメ『黒子のバスケ』の赤司征十郎を取り上げたこの投稿記事が読まれた事が今日あったようだ。未だに、赤司征十郎の名前に名声ありなのだろうか?
↑赤司征十郎、黒子テツヤ率いるチームとの闘いの後、表情に柔らかみが少し出た――様にも思うが、彼の身辺を巡る話に彼を取り巻いたバスケットボールを巡る話をみると、苦労があったことがうかがえた。
しかし、何故にオッドアイだったのだろう、と思う。アクセント・個性だったのだろうか?
↑リアルタイム解析をのぞいていたら、去年書いたこの投稿記事が読まれていた様だ。
↑HERO著作のコミック『浮世メモの夢に、鬼』の中に収録されている『舞った意識はゼログラム』を紹介したものだったが、そう言えばそんなのあったなあ、と思う。
その物語の出てくる、望(のぞみ)と言う要人キャラクターの感じに心意気が良いなと今も思う。

30過ぎても未だに出会えて居ないが、そもそも大して頭も良くなく、人の話を理解出来ない、解らない、だまって素直に聞けない私は、この先、ずっとそんな高尚なものに、出会える筈もない。
本は活字の塊であり、人生に影響を与える可能性を秘めるような偉大なる人の自伝・自叙伝を読んで内容を理解しても、その人に成れる訳もない上に自分の力量ではどうやっても近づけないことは目に見えている。啓蒙書の類いも私にが、馬耳東風、豚に真珠でありがたい話は、ただ読むだけの事になってしまうので、手は出せても役に立てる事が出来ない。しかしそれは、あくまで私だけの話なので、他の人には通用しない話としてこの投稿記事にお目通し頂ければと思う。

10代の頃、中学に入学してしばらく経過した日の中で、知り合った知人と放課後にひったすら、学校近くの団地の自転車置場を使っての1時間近い知人とのトーク。それに、談義、と言う名前がつき、そこから、塚村尚人、柿島孟子、印台淑丘、京野世佐美にExpressとこのブログ『急行特急は行く…』でお馴染みのキャラクター名が生まれて行った上に、自作物語『瞳の向こうの世界』、『シンガーソングライターズ』が生まれて行った。今にして思うと、このブログ『急行特急は行く…』の源流を見るような感じで、信じられない。
その、談義、はラジオ放送番組と言う設定にいつしかなるのだが、当時、私だけがバカみたいに好きだったラジオの影響があった様に思えるところだけれど、いまで言う、厨2病、だろうと思える。年齢を経るうちにいつかは、消えてなく成り行くものが20年経過してもそのままにここにあるのは良いのか悪いのか解らない。世間的に言ったらそれはダメなんだろうが、このブログ『急行特急は行く…』をやる上においては重要なものだと思う。
まだ、ネットも携帯も普及していなかった頃の話である。
↑渋柿の身が良い感じになってきた昨今。それ食えば、あまくて渋い、そこの柿、でうまそうでも食えないので、食っても法隆寺の鐘は鳴らないのである――と書いても、寒いだけ。
↑ホントにうまそうー、でも食えないので、まるでFM急特の“Morning on”の何とかさんみたいにインチキであるのが、悔しいったら無い。
涼風鈴子は、急行特急THを冥王星まで殴り飛ばした。
涼風鈴子「最後までこの記事お読み下さった方に厚く感謝と御礼を」
流石は祝日文化の日、と言うすんばらしい晴天に恵まれる。
↑季節は巡って冬へ――そんな感じが一方でするのは、何故だろうか?