冬の灰色ここにあり、と言わんばかりの朝を迎え、寒い。冬場だってのに、雨曇のパレイドな感じである。昨日、11月26日が嘘みたいである。
「自分を見てる自分がいる。そこから何が見えますか?そこに居るのは誰ですか?」 (篠原美也子『目を閉じたくはない』2004年 より引用)
乗った0形車内にあった1枚の写真。何を意図して飾られたのか、あるいは、いつ撮られたのかは解らない。そんな写真を見ていて、思い出した曲が引用した篠原美也子の『目を閉じたくはない』。 自分を見てる自分がいる…この曲の場面は、地下鉄に乗っている主人公が、車内の窓ガラスに映る自分自身を見て、自分自身に問い掛ける所であり、新幹線とは何ら関係は無い。 それはさておき、自分自身を見る…というのは、たぶん、こんな感じなのかな、と思う。そこから見えるもの、居る誰かは他ならない「自分自身」が歩いてきた「歴史の一部」。引退間近になってまざまざと在りし日の自分自身が活躍している姿をみて思う事は「懐かしさ」。戻れないからこそ想える事。それが良き時代ならば、ありありと想い想える事があるだろうが同時に「突き付けられる‘‘現実,,」もまたそこにはある。
有終の美を飾るのは解ってはいる。惜しまれる沢山の気持ちもまた解っている。全て解っているからこそ、「目を閉じず」に、受け止められる物がそこにある。伝わった物が確かにそこにある。
自分を見ている画像の中の主人公は、沢山の「想い」を見ているのだろう。目を閉じる事なく…。
乗った0形車内にあった1枚の写真。何を意図して飾られたのか、あるいは、いつ撮られたのかは解らない。そんな写真を見ていて、思い出した曲が引用した篠原美也子の『目を閉じたくはない』。 自分を見てる自分がいる…この曲の場面は、地下鉄に乗っている主人公が、車内の窓ガラスに映る自分自身を見て、自分自身に問い掛ける所であり、新幹線とは何ら関係は無い。 それはさておき、自分自身を見る…というのは、たぶん、こんな感じなのかな、と思う。そこから見えるもの、居る誰かは他ならない「自分自身」が歩いてきた「歴史の一部」。引退間近になってまざまざと在りし日の自分自身が活躍している姿をみて思う事は「懐かしさ」。戻れないからこそ想える事。それが良き時代ならば、ありありと想い想える事があるだろうが同時に「突き付けられる‘‘現実,,」もまたそこにはある。
有終の美を飾るのは解ってはいる。惜しまれる沢山の気持ちもまた解っている。全て解っているからこそ、「目を閉じず」に、受け止められる物がそこにある。伝わった物が確かにそこにある。
自分を見ている画像の中の主人公は、沢山の「想い」を見ているのだろう。目を閉じる事なく…。