「気付かないうちに、余計な荷物が部屋を埋めて行くから。必要なものと大切なものの境界線がぼやけてく…略…気付かないうちに余計な気持ちが、心を埋めてしまうけど、ほんとうに欲しいものを手探りでも探しに行こう。ここからまた始まるあらゆる日々を引き受けて、I still haven't found what I'm looking for 長すぎる夢でも」
(篠原美也子“Still”1998年 より引用)
篠原美也子“Still”と言う1998年のナンバー。
捜している物は未だもってして見つからない、そんな歌詞が印象的なのと日々の想いは塵も積もれば山となるが如しで、ドロ~ンとしてしまう。
あらゆる日々を引き受けて、と言う歌詞と
この話が重なる所があるなと言うのは今更な話であるけれど、あらゆる日々を引き受けて、尚も優雅で居るのは難しいし、自分には出来ない話の1つ。
ここから、明日からまた始まる日々を優雅に引き受けられそうにない私であるが、そんな明日からの日々の中に、捜しているものもなかったりする。何と夢の無い話ではあるが、夢は本来、明日を生きる、生きよう、生きたいと言う「希望の糧」であると思うが、叶わぬ夢をキャンバスに描いても絵に描いた餅で食べられしないので、いつしか夢をみることをしなくなったりする。叶うはずはない、力強く切に叶えたい物はない、そこまでする気力はない、で行くと、必要なのか必要でないのか解らず、余計ものさえも紛れ込んで来て受け身になっている私である。気がつけば、重たい想い達が散乱している。