近頃「鯨統一郎」が気になるのである。この本を読んだ後も読みたいものがある。
何故気になるのかといえば、サービス精神が旺盛であるということなのである。本書の解説(日下三蔵)も書いている。
「(前略)ミステリ短編集としては原価割れになるんじゃないかと心配になるほど大量のアイデアが投入されているのである」
探偵が詩人の萩原朔太郎であること。
相棒で語り手が室生犀星であること。
仲間として山村暮鳥、そして「ボス」に北原白秋。
ゲストには竹久夢二や菊池寛などが登場する。
大体この探偵小説の「月に吠えろ」というのが萩原朔太郎の詩集の題名になっていることに加えて、ドラマ「太陽にほえろ」のパロディーにもなっていることが、時々文中で示されていておかしい。
北原白秋や山村暮鳥の顔が本人とは別の顔をイメージしたりするのである。
主人公で名探偵である萩原朔太郎は、推理は鋭いが、その言行は「不思議」または「ヘン」である。こんな奴が傍にいると大いに迷惑だろうなあ、と思うのである。
萩原朔太郎をこんなふうにしていいのだろうか?とひとごとながら心配になってしまうのである。
もっともその分小説として読む分には「おかしい」し「面白い」のでいいのだが・・・
この短編集には7つの事件が収められている。
徐々に萩原朔太郎の行動がパターン化されていくところがやたらおかしい。
マンドリンを弾きながら登場してみたり、登場する女性にすぐ惚れてみたり、前言をすぐに翻したりと、やるやると思っているとやってしまうところが、或いは人のことを探るのに敏感な割には自分のことはよくわかっていないところが、バカバカしく面白いのである。
これら7編の事件は、その後朔太郎の詩のイメージの原型になっているというのが、事件解決のあとに更に続く「オチ」である。
朔太郎のファンなら、読んでいくうちにこの事件はどの詩になっているのだろうかという推理ができるという、2重のお楽しみになっているのではないか。
余談だが、私は朔太郎ならずあまり詩というのを覚えていないので、よく詩をソラで言う人がいるのを見たり聞いたりすると驚いてしまう。
更に言えば、私は吉田拓郎の相当のファンであるが、彼の歌をソラで歌えるのは2から3曲ぐらいであるし、仕事柄法律をよく知っていなければならないが「そのことは××法第○条でなんたらかんたら云々」ということもいえない、つまり<暗記>ということについて言えばまったくその能力を欠いているといえるのだ。(と威張ってどうする)
閑話休題(というわけで)
推理小説をよんでいるのに口元が緩んで、そうでなくてもしまりがない顔なのに、にやついている、というのは、なんだか不思議である。
すこし「過ぎている」んではないかという気持ちも時々起きるのではあるが「まあそのあたりは穏便にということで」という声も聞こえるので「まっいいか」と思うのである。
このあたりを面白いということで許せる人と、なんだこれは!と憮然とする人がいると思う物語で、そのあたりを考慮して読んでいただければ、と思うのである。
何故気になるのかといえば、サービス精神が旺盛であるということなのである。本書の解説(日下三蔵)も書いている。
「(前略)ミステリ短編集としては原価割れになるんじゃないかと心配になるほど大量のアイデアが投入されているのである」
探偵が詩人の萩原朔太郎であること。
相棒で語り手が室生犀星であること。
仲間として山村暮鳥、そして「ボス」に北原白秋。
ゲストには竹久夢二や菊池寛などが登場する。
大体この探偵小説の「月に吠えろ」というのが萩原朔太郎の詩集の題名になっていることに加えて、ドラマ「太陽にほえろ」のパロディーにもなっていることが、時々文中で示されていておかしい。
北原白秋や山村暮鳥の顔が本人とは別の顔をイメージしたりするのである。
主人公で名探偵である萩原朔太郎は、推理は鋭いが、その言行は「不思議」または「ヘン」である。こんな奴が傍にいると大いに迷惑だろうなあ、と思うのである。
萩原朔太郎をこんなふうにしていいのだろうか?とひとごとながら心配になってしまうのである。
もっともその分小説として読む分には「おかしい」し「面白い」のでいいのだが・・・
この短編集には7つの事件が収められている。
徐々に萩原朔太郎の行動がパターン化されていくところがやたらおかしい。
マンドリンを弾きながら登場してみたり、登場する女性にすぐ惚れてみたり、前言をすぐに翻したりと、やるやると思っているとやってしまうところが、或いは人のことを探るのに敏感な割には自分のことはよくわかっていないところが、バカバカしく面白いのである。
これら7編の事件は、その後朔太郎の詩のイメージの原型になっているというのが、事件解決のあとに更に続く「オチ」である。
朔太郎のファンなら、読んでいくうちにこの事件はどの詩になっているのだろうかという推理ができるという、2重のお楽しみになっているのではないか。
余談だが、私は朔太郎ならずあまり詩というのを覚えていないので、よく詩をソラで言う人がいるのを見たり聞いたりすると驚いてしまう。
更に言えば、私は吉田拓郎の相当のファンであるが、彼の歌をソラで歌えるのは2から3曲ぐらいであるし、仕事柄法律をよく知っていなければならないが「そのことは××法第○条でなんたらかんたら云々」ということもいえない、つまり<暗記>ということについて言えばまったくその能力を欠いているといえるのだ。(と威張ってどうする)
閑話休題(というわけで)
推理小説をよんでいるのに口元が緩んで、そうでなくてもしまりがない顔なのに、にやついている、というのは、なんだか不思議である。
すこし「過ぎている」んではないかという気持ちも時々起きるのではあるが「まあそのあたりは穏便にということで」という声も聞こえるので「まっいいか」と思うのである。
このあたりを面白いということで許せる人と、なんだこれは!と憮然とする人がいると思う物語で、そのあたりを考慮して読んでいただければ、と思うのである。