どういう心境なのか自分でも説明がつかないのだが、塩野七生と池波正太郎を併読していたのである。
真田騒動のほうは依然読んだものである。(2002年1月4日の読書日記にその間奏が出ている。)
さて、真田騒動は真田幸村の兄で信州松代藩の藩祖「真田信幸」が、関が原後の徳川幕府体制の中で、いかに真田家を存続させて行ったか、ということが芯になっている。
短編・中篇5作「信濃大名記」「碁盤の首」「錯乱」「真田騒動」「この父その子」が収められている。このうち「錯乱」で直木賞を受賞している。
これらはそれぞれ独立した物語ではあるが、続き物、としても読める時系列になっている。
この1冊を読んで「うーん、いいんじゃないの」と思った人には、文庫版で12巻にも及ぶ「真田太平記」を薦める。
私はこの真田太平記を読んで、真田昌幸(信幸・幸村の父)でも幸村でもなく信幸のファンになったのである。
逆に真田太平記を読んで、この真田騒動を読んでいない人には、真田太平記外伝として、この物語を読むことをお薦めする。
さて、その真田太平記とローマ人の物語がどうつながるのか?
ということである。
まず、真田騒動の中の「錯乱」で、真田信幸はこういうことを語っている。
「治政をするもののつとめはなあ、治助。領民家来の幸福を願うこと、これ一つよりないのじゃ。そのために、おのれが進んで背負う苦痛をしのぶことの出来ぬものは、人の上に立つことを止めねばならぬ・・・人は、わしを名君と呼ぶ。名君で当たり前なのじゃ。少しも偉くはない。大名たるものは皆、名君でなくてはならぬ。それが賞められるべきことでも何でもない、百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと同じなのじゃ」
そして
「(前略)良き治政とは、名君があり、そして名臣がなくては成りたたむものなのじゃ。そのどちらが欠けても駄目なものよ」
信州や上州沼田をいろいろな人たちと争って得て治めてきた真田一族の治政の結晶とも言うべきものである。
それではローマ人の物語はどうか。
第24巻は「賢帝の時代(上)」ローマ帝国の賢帝の時代の第1巻、トライアヌスについて書いてある。
トライアヌスは第13代の皇帝である。
ローマの皇帝は父から子へと継がれてきた例もあるが、ローマ市民によって選ばれた者認められた者である。
この第13代皇帝トライアヌスもキャリアを積み上げて皇帝になったのである。
したがって彼は真田信幸とは違って、一族の血の結晶ではなく、ローマ帝国というローマ市民によって成立している国の治政の結晶なのである。
ただし、ローマ市民というのは現代における市民というイメージではなく、市民になるための条件があったし、いわゆる階級による差別があった。
その皇帝は属州の総督から施設の建設の是非を問う手紙にたいして
「もしもその建設費が、プルサ市の財政に負担をかけすぎる怖れがなく、また完成後の運営費も保証できるのであれば、公衆浴場の建設は許可してよいだろう」
と答えている。
そしてまた別の都市の体育館の建設についての質問に対しては
「まったくギリシア人というのは、体育館(ギムナジウム)となるとわれを忘れてしまう民族である。それでついつい大規模なものを建てはじめてしまったのだろうが、彼らとて、自分たちの必要に応じた規模で満足することは学ぶべきだろう」
と答えている。
あるいは、大規模な水道工事が中断し一部完成した施設ももう使えない状態にあるが、それでもその工事を行いたいということには
「ニコメディアの街に水を引くことの必要性は、充分に納得いった。あなたはこの仕事に、全力をあげて取り組んでほしい。と、同時に、この不祥事の責任者の追及もされねばならない。工事はどうはじめられたのか、なぜ中途で放置されたのか。この件の調査結果の報告を待つことにする」
と答えている。
で、何を思ったのか?ということなのだが・・・
真田信幸の言葉は「封建主義」による民政のありかたであるといえ、トライアヌスの言葉は「民主主義」のそれではないかということである。
そして、民主主義の日本では、依然として封建主義的な民政を望んでいるのではないか、つまり、まだまだ我々は民主主義の世の中で熟成をしていないということである。
なにしろトライアヌスの時代は西暦100年のころ1世紀のことなのである。
そのころからの民主主義(誰でも参加できるというものではなかったが)の熟成度が欧米の社会であり、それとは違う歴史を持つ日本がいかに民主主義であるとしても、やっぱりマダマダなのである。
そのマダマダが今の日本の混乱を招いているのではないか。
自立した市民社会ではなく何かに依存しようとする体質、全てが行政が悪いとする体質、公よりも自らが所属する組織を守ろうとする体質・・・
そして、これらの混乱の解決を名君に求めようとする体質。
日本社会の混乱が解決するには、我々自身が自立し、自立した個人が「公を」担っているんだという、考え方が大きく広がらない限り駄目なのではないだろうか、と思うのである。
真田信幸は名君であることに間違いはないのであるが、以降、真田家には名君が続いたろうか?
というわけで、この2冊を併読しながら、よい政治よい行政を得るには、我々(一般市民)が熟成しなければならない、ということを思ったのであった。
真田騒動のほうは依然読んだものである。(2002年1月4日の読書日記にその間奏が出ている。)
さて、真田騒動は真田幸村の兄で信州松代藩の藩祖「真田信幸」が、関が原後の徳川幕府体制の中で、いかに真田家を存続させて行ったか、ということが芯になっている。
短編・中篇5作「信濃大名記」「碁盤の首」「錯乱」「真田騒動」「この父その子」が収められている。このうち「錯乱」で直木賞を受賞している。
これらはそれぞれ独立した物語ではあるが、続き物、としても読める時系列になっている。
この1冊を読んで「うーん、いいんじゃないの」と思った人には、文庫版で12巻にも及ぶ「真田太平記」を薦める。
私はこの真田太平記を読んで、真田昌幸(信幸・幸村の父)でも幸村でもなく信幸のファンになったのである。
逆に真田太平記を読んで、この真田騒動を読んでいない人には、真田太平記外伝として、この物語を読むことをお薦めする。
さて、その真田太平記とローマ人の物語がどうつながるのか?
ということである。
まず、真田騒動の中の「錯乱」で、真田信幸はこういうことを語っている。
「治政をするもののつとめはなあ、治助。領民家来の幸福を願うこと、これ一つよりないのじゃ。そのために、おのれが進んで背負う苦痛をしのぶことの出来ぬものは、人の上に立つことを止めねばならぬ・・・人は、わしを名君と呼ぶ。名君で当たり前なのじゃ。少しも偉くはない。大名たるものは皆、名君でなくてはならぬ。それが賞められるべきことでも何でもない、百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと同じなのじゃ」
そして
「(前略)良き治政とは、名君があり、そして名臣がなくては成りたたむものなのじゃ。そのどちらが欠けても駄目なものよ」
信州や上州沼田をいろいろな人たちと争って得て治めてきた真田一族の治政の結晶とも言うべきものである。
それではローマ人の物語はどうか。
第24巻は「賢帝の時代(上)」ローマ帝国の賢帝の時代の第1巻、トライアヌスについて書いてある。
トライアヌスは第13代の皇帝である。
ローマの皇帝は父から子へと継がれてきた例もあるが、ローマ市民によって選ばれた者認められた者である。
この第13代皇帝トライアヌスもキャリアを積み上げて皇帝になったのである。
したがって彼は真田信幸とは違って、一族の血の結晶ではなく、ローマ帝国というローマ市民によって成立している国の治政の結晶なのである。
ただし、ローマ市民というのは現代における市民というイメージではなく、市民になるための条件があったし、いわゆる階級による差別があった。
その皇帝は属州の総督から施設の建設の是非を問う手紙にたいして
「もしもその建設費が、プルサ市の財政に負担をかけすぎる怖れがなく、また完成後の運営費も保証できるのであれば、公衆浴場の建設は許可してよいだろう」
と答えている。
そしてまた別の都市の体育館の建設についての質問に対しては
「まったくギリシア人というのは、体育館(ギムナジウム)となるとわれを忘れてしまう民族である。それでついつい大規模なものを建てはじめてしまったのだろうが、彼らとて、自分たちの必要に応じた規模で満足することは学ぶべきだろう」
と答えている。
あるいは、大規模な水道工事が中断し一部完成した施設ももう使えない状態にあるが、それでもその工事を行いたいということには
「ニコメディアの街に水を引くことの必要性は、充分に納得いった。あなたはこの仕事に、全力をあげて取り組んでほしい。と、同時に、この不祥事の責任者の追及もされねばならない。工事はどうはじめられたのか、なぜ中途で放置されたのか。この件の調査結果の報告を待つことにする」
と答えている。
で、何を思ったのか?ということなのだが・・・
真田信幸の言葉は「封建主義」による民政のありかたであるといえ、トライアヌスの言葉は「民主主義」のそれではないかということである。
そして、民主主義の日本では、依然として封建主義的な民政を望んでいるのではないか、つまり、まだまだ我々は民主主義の世の中で熟成をしていないということである。
なにしろトライアヌスの時代は西暦100年のころ1世紀のことなのである。
そのころからの民主主義(誰でも参加できるというものではなかったが)の熟成度が欧米の社会であり、それとは違う歴史を持つ日本がいかに民主主義であるとしても、やっぱりマダマダなのである。
そのマダマダが今の日本の混乱を招いているのではないか。
自立した市民社会ではなく何かに依存しようとする体質、全てが行政が悪いとする体質、公よりも自らが所属する組織を守ろうとする体質・・・
そして、これらの混乱の解決を名君に求めようとする体質。
日本社会の混乱が解決するには、我々自身が自立し、自立した個人が「公を」担っているんだという、考え方が大きく広がらない限り駄目なのではないだろうか、と思うのである。
真田信幸は名君であることに間違いはないのであるが、以降、真田家には名君が続いたろうか?
というわけで、この2冊を併読しながら、よい政治よい行政を得るには、我々(一般市民)が熟成しなければならない、ということを思ったのであった。