1.カッコマン・ブギ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1975年4月
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが「スモーキング・ブギ」を大ヒットさせ、続いてこの歌を発表したころ、ブギウギってかっこいい、と思った。
そしてブギウギって何でもありなんだなあ、とも思ったのであった。
そしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドって「なんだか軽い」という印象でもあった。
その後、軽い、というのは作り物であって、深く・重いものを持っているバンドなんだということがわかったが、当時は「はやりもの」で終わるのではないか、なんて思っていたのであった。
と思うくらいこの歌はなんだか時代に阿っているようなそれでいて時代の先端を走っているような、そんな感じを受けたのであった。
ちなみに、この曲の裏面が「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」であって、最初はなんだかこれはダメね、なんて思っていのであるから、その当時の印象なんて当てにならない。
2.縁切寺/グレープ 1975年11月
さだまさしの叙情性というのは、いいもんだんあ、とひそかに思っていても、表立っていいとはなんだかいえない雰囲気があった。
ゆえに、ひそかにさだまさしを聞いていたのであった。
この縁切寺と岡本正の「北鎌倉」で『鎌倉』というところへのあこがれみたいなものが自分の心の中で醸成されたのであった。
しかし、なかなか鎌倉へ行くことができないでいるのであった。
3.空飛ぶ鯨/ちゃんちゃんこ 1974年12月
この歌の印象は「おー!新しいタイプがでてきたあ」というものであった。
「かっこいい」というか「かわいい」というか、そんな男の子たちが、空飛ぶ鯨なんて、なんだかよくわからない歌を歌う。
あー、俺もおっちゃんかあ、なんてちらりと思ったものであった。
とはいうもののまだ20歳になったばかりのころであった。
4.バイオリンのおけいこ/佐藤公彦 1974年3月
佐藤公彦つまり「ケメ」である。
えーっ!こんな歌うたうの?
と思った。
こういう歌をうたうひとだとは思っていなかったのだが、こういう歌をうたっていることにうれしかったような悲しかったような、変な気分だったなあ。
5.ひらひら/中山ラビ 1974年7月
私が中山ラビの歌にであったのは、1976年であったと思う。
だからこの歌は当時オンタイムで聞いていない。
音楽やアーティストとの出会いというのは、タイミングである。
多分、心が求めているときに引っかかるのだと思う。
中山ラビの思い出は、東京との訣別である。
だから、中山ラビを聞くと、なんだかさびしい。
それは東京を離れたころに吹き始めた初秋の風のようなカンジなのである。
6.灰色の瞳/加藤登紀子、長谷川きよし 1974年3月
加藤登紀子と長谷川きよしは、私にとっては「遠いところにいる大人」のようである。
私は、人というのは、いい加減で、きままで、くそったれなところがあるから、愛すべきものなのではないかと思っている。
しかし、この二人はそんなところもない大人なのではないだろうか。
だから、多分この二人に出会ったら緊張して、何もいえなくなるのではないかと思っている。
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ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが「スモーキング・ブギ」を大ヒットさせ、続いてこの歌を発表したころ、ブギウギってかっこいい、と思った。
そしてブギウギって何でもありなんだなあ、とも思ったのであった。
そしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドって「なんだか軽い」という印象でもあった。
その後、軽い、というのは作り物であって、深く・重いものを持っているバンドなんだということがわかったが、当時は「はやりもの」で終わるのではないか、なんて思っていたのであった。
と思うくらいこの歌はなんだか時代に阿っているようなそれでいて時代の先端を走っているような、そんな感じを受けたのであった。
ちなみに、この曲の裏面が「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」であって、最初はなんだかこれはダメね、なんて思っていのであるから、その当時の印象なんて当てにならない。
2.縁切寺/グレープ 1975年11月
さだまさしの叙情性というのは、いいもんだんあ、とひそかに思っていても、表立っていいとはなんだかいえない雰囲気があった。
ゆえに、ひそかにさだまさしを聞いていたのであった。
この縁切寺と岡本正の「北鎌倉」で『鎌倉』というところへのあこがれみたいなものが自分の心の中で醸成されたのであった。
しかし、なかなか鎌倉へ行くことができないでいるのであった。
3.空飛ぶ鯨/ちゃんちゃんこ 1974年12月
この歌の印象は「おー!新しいタイプがでてきたあ」というものであった。
「かっこいい」というか「かわいい」というか、そんな男の子たちが、空飛ぶ鯨なんて、なんだかよくわからない歌を歌う。
あー、俺もおっちゃんかあ、なんてちらりと思ったものであった。
とはいうもののまだ20歳になったばかりのころであった。
4.バイオリンのおけいこ/佐藤公彦 1974年3月
佐藤公彦つまり「ケメ」である。
えーっ!こんな歌うたうの?
と思った。
こういう歌をうたうひとだとは思っていなかったのだが、こういう歌をうたっていることにうれしかったような悲しかったような、変な気分だったなあ。
5.ひらひら/中山ラビ 1974年7月
私が中山ラビの歌にであったのは、1976年であったと思う。
だからこの歌は当時オンタイムで聞いていない。
音楽やアーティストとの出会いというのは、タイミングである。
多分、心が求めているときに引っかかるのだと思う。
中山ラビの思い出は、東京との訣別である。
だから、中山ラビを聞くと、なんだかさびしい。
それは東京を離れたころに吹き始めた初秋の風のようなカンジなのである。
6.灰色の瞳/加藤登紀子、長谷川きよし 1974年3月
加藤登紀子と長谷川きよしは、私にとっては「遠いところにいる大人」のようである。
私は、人というのは、いい加減で、きままで、くそったれなところがあるから、愛すべきものなのではないかと思っている。
しかし、この二人はそんなところもない大人なのではないだろうか。
だから、多分この二人に出会ったら緊張して、何もいえなくなるのではないかと思っている。
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