1.ふれあい/中村雅俊 1974年4月
高校3年生のときのドラマ「われら青春」の挿入歌である。
この一覧のドラマ(青春ものというやつ)は、見ながら「恥ずかしいなあ」という場面が多くて、それなのに感動している自分にあきれて、こんな青春をしたいと思っていたりする自分に驚いたりしていたのであった。
この「ふれあい」という歌も、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまうので、歌うときは一人でこっそりと、なのである。
2.結婚するって本当ですか/ダ・カーポ 1974年6月
この歌も「恥ずかしい」部類に入る。
短い手紙は、結婚式への招待状だったのだろうか、それとも結婚するという本当に短い手紙だったのだろうか。
その手紙を書いたのは男の人なんだろうと思うが、そういう男ってどうなんだろうか?
なんて思って、少しは反感を覚えていたりしたのだが・・・
それでもある部分感動していたりするのだから、恥ずかしい、と思ったんだろうなあ。
ダ・カーポって、目立ったカンジでなくて、あまり特徴もなくて、さわやかなところが過ぎている、というイメージだったのだが、一回コンサートに行ったら、ちょっとファンになっていたりした。
なかなかどうして、いいグループです。
3.何かいいことないかな/河島英五とホモ・サピエンス 1975年4月
河島英五に対してもなんだか少しわだかまりというか偏見があった。
それは多分彼の純粋な気持ちが正直に歌に現れているところなんだと思う。
どちらかといえば屈折した心、少しからずどんよりとしてにごっている心をもつ当方としては、こう純粋そしてストレートに歌われると、ひるんでしまうのである。
この歌はあまり覚えていないので、当時聞いたとしても聞き流していたんだと思う。
その理由は、河島英吾に対する「ひるみ」なのである。
4.振ればどしゃぶり/亀渕友香 1974年3月
この歌も聴いた覚えはある。
覚えはあるが、この歌を歌おうとかは思わなかった。
当時、歌のうまい人、というのはあまり好きではなかった。
それも正統的なうまい人はなおさらであった。
多分そのせいなのだと思う。
5.コーヒー一杯の幸福/Belle(ベル) 1974年9月
この歌も聴いたことがある。
当時、このような歌はわりとうたわれていたように思う。
「このような歌」というのは、よく言えば叙情性(情緒があらわれている)あふれる、悪く言えば軟弱な(今はジェンダーとかいってあまりいってはダメらしいのだが、つまりは男らしくない)歌詞でわりと甘えたようなうたい方をする歌、を言う。
なんか「君のためなら」と彼女に言うことが、あるいはそのために僕が我慢することは「やさしさ」なんだ、というような歌は、時に自分の気持ちにフィットするところはあったけど『なんだかなあ』という思いがあった。
ということで、この歌はどこかで聴いたことがあるけれど、それがどこだったかは思い出せない、そういう歌なのである。
6.風に吹かれて行こう/やまがたすみこ 1973年2月
この第56巻は、この歌があるから、いい。そう思ってたりする。
やまがたすみこは同い年である。
透き通った声がよかったなあ。
この「風に吹かれて行こう」は、今まで述べてきた歌と同類(つまり、なんだか恥ずかしい)のであるが、やまがたすみこが歌っているから許せるのである。
えー!なんだか矛盾しているじゃないか、と思われようが、それはそうだから仕方ないじゃない、と開き直ってしまうのである。
ただし、やっぱり恥ずかしいことには変わりはないので、一人のときにしか歌わないのである。
そんなに、いいなあ、と思っていたわりには、やまがたすみこの歌ってこの歌と「夏になったら」くらいしか知らないのである。
人の心や気持ちなんてそういうものなのである、と、またもや開き直ってしまうのである。イヤハヤ、ナントモ・・・
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高校3年生のときのドラマ「われら青春」の挿入歌である。
この一覧のドラマ(青春ものというやつ)は、見ながら「恥ずかしいなあ」という場面が多くて、それなのに感動している自分にあきれて、こんな青春をしたいと思っていたりする自分に驚いたりしていたのであった。
この「ふれあい」という歌も、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまうので、歌うときは一人でこっそりと、なのである。
2.結婚するって本当ですか/ダ・カーポ 1974年6月
この歌も「恥ずかしい」部類に入る。
短い手紙は、結婚式への招待状だったのだろうか、それとも結婚するという本当に短い手紙だったのだろうか。
その手紙を書いたのは男の人なんだろうと思うが、そういう男ってどうなんだろうか?
なんて思って、少しは反感を覚えていたりしたのだが・・・
それでもある部分感動していたりするのだから、恥ずかしい、と思ったんだろうなあ。
ダ・カーポって、目立ったカンジでなくて、あまり特徴もなくて、さわやかなところが過ぎている、というイメージだったのだが、一回コンサートに行ったら、ちょっとファンになっていたりした。
なかなかどうして、いいグループです。
3.何かいいことないかな/河島英五とホモ・サピエンス 1975年4月
河島英五に対してもなんだか少しわだかまりというか偏見があった。
それは多分彼の純粋な気持ちが正直に歌に現れているところなんだと思う。
どちらかといえば屈折した心、少しからずどんよりとしてにごっている心をもつ当方としては、こう純粋そしてストレートに歌われると、ひるんでしまうのである。
この歌はあまり覚えていないので、当時聞いたとしても聞き流していたんだと思う。
その理由は、河島英吾に対する「ひるみ」なのである。
4.振ればどしゃぶり/亀渕友香 1974年3月
この歌も聴いた覚えはある。
覚えはあるが、この歌を歌おうとかは思わなかった。
当時、歌のうまい人、というのはあまり好きではなかった。
それも正統的なうまい人はなおさらであった。
多分そのせいなのだと思う。
5.コーヒー一杯の幸福/Belle(ベル) 1974年9月
この歌も聴いたことがある。
当時、このような歌はわりとうたわれていたように思う。
「このような歌」というのは、よく言えば叙情性(情緒があらわれている)あふれる、悪く言えば軟弱な(今はジェンダーとかいってあまりいってはダメらしいのだが、つまりは男らしくない)歌詞でわりと甘えたようなうたい方をする歌、を言う。
なんか「君のためなら」と彼女に言うことが、あるいはそのために僕が我慢することは「やさしさ」なんだ、というような歌は、時に自分の気持ちにフィットするところはあったけど『なんだかなあ』という思いがあった。
ということで、この歌はどこかで聴いたことがあるけれど、それがどこだったかは思い出せない、そういう歌なのである。
6.風に吹かれて行こう/やまがたすみこ 1973年2月
この第56巻は、この歌があるから、いい。そう思ってたりする。
やまがたすみこは同い年である。
透き通った声がよかったなあ。
この「風に吹かれて行こう」は、今まで述べてきた歌と同類(つまり、なんだか恥ずかしい)のであるが、やまがたすみこが歌っているから許せるのである。
えー!なんだか矛盾しているじゃないか、と思われようが、それはそうだから仕方ないじゃない、と開き直ってしまうのである。
ただし、やっぱり恥ずかしいことには変わりはないので、一人のときにしか歌わないのである。
そんなに、いいなあ、と思っていたわりには、やまがたすみこの歌ってこの歌と「夏になったら」くらいしか知らないのである。
人の心や気持ちなんてそういうものなのである、と、またもや開き直ってしまうのである。イヤハヤ、ナントモ・・・
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