観てから読むか、読んでから見るか、という選択であったが、ひょんなことから映画を観ることになった。
というわけで、映画を先に見てそれでは原作はどうなっている?ということで本を読んだのである。
このガリレオシリーズは「犯人探し」というよりも「方法の解明」ということが主になっているので、映画でも本でもいわゆる「犯人」というのはわかっているのである。
ただし、この「わかっている」ということがどこまで真相を把握しているのか、ということに関して言えばやっぱりそこには「謎」があるわけで・・・
映画ではふたつほど、映像で「伏線」というか「あれ?」と思う部分が先に出てくる。
見ている途中で隣人に確かめたくなったほどである。(確かめはしなかったが)
この部分は原作では明確に現されていないので、映画におけるサービスなんだと思う。
この物語はガリレオこと湯川学と彼が天才と認める数学教師・石神の対決である。
対決といっても身体的だったり謀略的であったりするものではなく、論理的対決である。
論理的というところがちょっと「くどい」感じがしないでもないが「深い」とおもえば、フムフムと感じ取れる。
映画と原作では設定に若干の違いはあるが(内海薫<柴咲コウが演じている>は原作にはいないというとこととか)話の幹は同じであるので、おおきな違和感はない
が、やっぱり原作のほうがいい。
映画は観る人に想像させることが少なくわかりやすくしてるという印象である。
ただ、湯川学の福山雅治はいかにもはまっている。
そして石神の役であった堤真一もかっこよかった。
原作では石神はかっこ悪い冴えない感じに描かれていて、天才的数学者とのギャップをカンジさせるのだが・・・
映画の二人で山に登るところは、ちょっと出来すぎもしくはやりすぎ或いは飛躍しすぎというかんじではあった。
というわけで、この「容疑者Xの献身」は映画でも本でも十分堪能できると思う。
今回は「観てから読む」で正解だったかもしれない。
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というわけで、映画を先に見てそれでは原作はどうなっている?ということで本を読んだのである。
このガリレオシリーズは「犯人探し」というよりも「方法の解明」ということが主になっているので、映画でも本でもいわゆる「犯人」というのはわかっているのである。
ただし、この「わかっている」ということがどこまで真相を把握しているのか、ということに関して言えばやっぱりそこには「謎」があるわけで・・・
映画ではふたつほど、映像で「伏線」というか「あれ?」と思う部分が先に出てくる。
見ている途中で隣人に確かめたくなったほどである。(確かめはしなかったが)
この部分は原作では明確に現されていないので、映画におけるサービスなんだと思う。
この物語はガリレオこと湯川学と彼が天才と認める数学教師・石神の対決である。
対決といっても身体的だったり謀略的であったりするものではなく、論理的対決である。
論理的というところがちょっと「くどい」感じがしないでもないが「深い」とおもえば、フムフムと感じ取れる。
映画と原作では設定に若干の違いはあるが(内海薫<柴咲コウが演じている>は原作にはいないというとこととか)話の幹は同じであるので、おおきな違和感はない
が、やっぱり原作のほうがいい。
映画は観る人に想像させることが少なくわかりやすくしてるという印象である。
ただ、湯川学の福山雅治はいかにもはまっている。
そして石神の役であった堤真一もかっこよかった。
原作では石神はかっこ悪い冴えない感じに描かれていて、天才的数学者とのギャップをカンジさせるのだが・・・
映画の二人で山に登るところは、ちょっと出来すぎもしくはやりすぎ或いは飛躍しすぎというかんじではあった。
というわけで、この「容疑者Xの献身」は映画でも本でも十分堪能できると思う。
今回は「観てから読む」で正解だったかもしれない。
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