読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

本屋にて・・・

2008-11-12 21:56:12 | 日々雑感
文庫本を3冊購入した。

森村誠一「人間の証明 21st Century」
鯨統一郎「なみだ研究所へようこそ!」
北森鴻「狐罠」

である。

近頃推理小説を好んで読んでいる。
推理小説は若いころから好きだったのであまり違和感はないのであるが、歴史小説や時代小説或いはユーモア小説と交互に読んでいたのが、推理小説の割合が増えてきたのである。

それから、以前はこのように小説や物語の本を購入した場合、エッセイのような軽い読物も併せて買っていた。
合間合間に読んで頭をほぐしていたのである。

で、今回本屋に行って探してみたのであるがなかなか見つからない。

なんというか、置いている本全てが「著者が渾身の力をこめて欠いたものだぞ!」とか「これを読めばあなたは何かを得る!」というオーラなのである。

つまり、軽いというか『へらへら』した読物が見当たらないのである。

この現象について、本屋をさまよいながら考えたのである。

まず第1に推理小説や勧善懲悪的な時代小説は、その途中がどうあれ結末は完璧に予想できるという「安心感」がある。

推理小説は解決しないことはない。
時代小説は主人公が勝つ。

あとはパターンと主人公のパーソナリティが魅力的であるかどうかである。

だから、そういうものに飽きたあるいはもう少し深いものを求める、ということから古典の復刻版がたいそう出ている。
でもどうもそれは「ファッション」のような気がする。つまり買われてはいるけれど読まれてはいないような気がする。

また、本を買って読むという、ことに「お得感」を求めているのではないか。
ただなんとなく読むのではなく、本を読むことによってなにかをすぐに手に入れたい、という気持ちがあるのではないか。

1冊の本を1回読んで何かを得ようなんていうことは「思い上がり」である。
なのに、本のカバーには「これ1冊でわかる」みたいなことが書いてある。

というような(つまり安心感とお得感をもとめる)社会の環境にあって、へらへらしたような読物は出てこないんだろうなあ、と思うのである。

ということで、なにか「へらへら」したようなもの、読んでもなんの役に立ちそうもないようなもの、そんなものを求めて本屋をさまよったのであった。

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