読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

人間の証明 21st Century 森村誠一 角川文庫

2008-12-10 22:15:30 | 読んだ
森村誠一の「人間の証明」はシリーズだった、ということを初めて知った。
1976年に刊行され映画にもなったのが最初、続いて1982年「新・人間の証明」1997年「人間の証明PARTⅡ狙撃者の挽歌」そして今回の「人間の証明21stCentyury」である。

高校時代から森村誠一のファンであった私は、最初の('76年)「人間の証明」は本を読み、映画も見た。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷峠から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ」
という西条八十の詩が効果的なおかつ印象的であった。

森村誠一の文章は「生硬」であると思う。作中人物の会話は何かの文章を読んでいるようである。
それから「青臭く形容が古臭い」のである。
また登場人物の性格はキッチリ決まっていて人間くさくない。
だからいかにも物語風なのである。

というようにアラを探せばいっぱい出てくるのである。
なのに、大好きなのである、森村誠一の作品。

今回の物語にも「詩」が登場する。
金子みすゞの詩である。
これがまた恥ずかしくなるよな詩なのである。

因果と因縁とが絡み合って、なおかつ国家の権力というのがちらついて、スケールの大きな話となっている。
しかし、やっぱり人間の話なのである。

この人間の話をするには、前に述べた「生硬」「青臭い」「登場人物のほとんどが人間くさくない」というのが、非常に有効なんだと思う。
「アラ」であった部分が実は計算された設定であって、その設定の上で描かれる人間模様がなんだかイキイキしてきたりする、のではないだろうか。

今回の物語は、物語の設定そして展開は「夢物語」まったくうそ臭いものである。
そのうそ臭いものが真実味があるように思えるのは、私が思った「アラ」の部分が重要な役割を果たしているのではないだろうか。

現代社会の不安定さが、更にこの物語に真実味を与えている。
何事も公開されているようで情報が氾濫しているが、実は隣の家で何が起きているのかわからない、そんな社会の状況である。

ところで、1976年の人間の証明のとき棟居刑事が20代だったとして、28歳と仮定してもすでに32年を経過している。60歳である。
ところが、棟居刑事はその父を進駐軍に殺されているので、戦中派といえる。

そんなことを考えていると、なんだかよくわからなくなるのである。
そして、そんなことを考えてはいけないのである。

棟居弘一良よ永遠なれ!
なのである。

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