1.竹田の子守唄/赤い鳥 1969年10月
日本の子守唄というのは悲しい詩で悲しい曲調である。
子守唄は「子守」をしている子供たちをうたった歌だからだろう。
この歌を聴いたときは、やっぱりなんだか悲しい気分で、あまり好きではなかった。
子守唄というのは子守をしている人が子供に歌ってきかせるものではないのか、なんて思っていたころであった。
赤い鳥が歌っていた、ということから、なにか人間の平等みたいなものにかんしてメッセージがあるんだろう、と思っていたころもあった。
この歌をうたってみると、詩がどうの曲がどうのというより、この曲が持っている「力」みたいなものを感じることができる。
だから、多分「赤い鳥」の人たちも、メッセージがどうのというよりも曲全体の力を伝えたかったんだと思う。
この歌が一時「差別」に関係するとしてメディアから流れなかった、というのは「放送禁止歌」という本を読んで知ったのだが、そういうことを感じさせたり解釈させたりする力ももっていた歌だったんだと思った。
と、同時にそんな解釈をしたり放送をしないということを決めた人たちに対して怒りを感じたものだった。
素直にこの歌を聞けば、人間が持つどうしようもない悲しみや境遇を歌にしただけなんだということ、その「しただけ」が人に大きな感動を与えるものだということがわかるはずだと思うのだが。
2.鳥になった少年/田中のり子 1969年12月
この歌のように、素直に夢とか自由とかをうたうのは苦手なのである。
知っていはいたけれど、それほど思い入れもなくきいていた歌であった。
3.主婦のブルース/高石友也 1968年10月
高石友也の歌は、いろいろな意味ですごいなあと思う。
そして彼はいろいろなことを考えて歌い、行動しているなあ、と思う。
だけど、どこか私とは相容れないものがあるような気がする。
その「相容れない」という部分は高石友也にあるのではなく、まったく私にのみ存在しているのであるが・・・
この主婦のブルースはなんとなく面白いなあと思ったけれど、なんというか「なぜこのような歌を歌わなければならないのか?」ということが私の底にあって、素直になれないのである。
コミックソングであればそれでいいのだが、なんだか実は非常に強いメッセージを持っていてそれを読み取ることのできない自分がいやだったのかもしれない。
4.腰まで泥まみれ/中川五郎 1969年12月
初めてきいた歌である。
この「青春のうた」もとうとうここまでマニアックになったのか、と思うのである。
5.さすらいのヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダーズ 1968年11月
関西フォークと呼ばれるものは「苦手」なのである。
それは「おしつけがましい」と感じるところだと思う。
フォークルの歌でもそのようなものは苦手である。
もう少し普遍性があるものは「いいなあ」と思ったのであるが、そうでないものはやっぱり敬遠気味である。
メッセージをコミック風にしてみたりあるいは難しくしみたりしたものは、どうしても敬遠している。
「コミックソング」なんだと割り切ったものや、メッセージをストレートにあらわしたものはついていけるのであるが・・・
そのあたりが多分世代間の違いだと思う。
6.坊や大きくならないで/マイケルズ 1969年2月
この歌は「反戦歌」である。
反戦歌も苦手なのである。
まして反戦歌がヒットするというのは、なんだか腑に落ちないのである。
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日本の子守唄というのは悲しい詩で悲しい曲調である。
子守唄は「子守」をしている子供たちをうたった歌だからだろう。
この歌を聴いたときは、やっぱりなんだか悲しい気分で、あまり好きではなかった。
子守唄というのは子守をしている人が子供に歌ってきかせるものではないのか、なんて思っていたころであった。
赤い鳥が歌っていた、ということから、なにか人間の平等みたいなものにかんしてメッセージがあるんだろう、と思っていたころもあった。
この歌をうたってみると、詩がどうの曲がどうのというより、この曲が持っている「力」みたいなものを感じることができる。
だから、多分「赤い鳥」の人たちも、メッセージがどうのというよりも曲全体の力を伝えたかったんだと思う。
この歌が一時「差別」に関係するとしてメディアから流れなかった、というのは「放送禁止歌」という本を読んで知ったのだが、そういうことを感じさせたり解釈させたりする力ももっていた歌だったんだと思った。
と、同時にそんな解釈をしたり放送をしないということを決めた人たちに対して怒りを感じたものだった。
素直にこの歌を聞けば、人間が持つどうしようもない悲しみや境遇を歌にしただけなんだということ、その「しただけ」が人に大きな感動を与えるものだということがわかるはずだと思うのだが。
2.鳥になった少年/田中のり子 1969年12月
この歌のように、素直に夢とか自由とかをうたうのは苦手なのである。
知っていはいたけれど、それほど思い入れもなくきいていた歌であった。
3.主婦のブルース/高石友也 1968年10月
高石友也の歌は、いろいろな意味ですごいなあと思う。
そして彼はいろいろなことを考えて歌い、行動しているなあ、と思う。
だけど、どこか私とは相容れないものがあるような気がする。
その「相容れない」という部分は高石友也にあるのではなく、まったく私にのみ存在しているのであるが・・・
この主婦のブルースはなんとなく面白いなあと思ったけれど、なんというか「なぜこのような歌を歌わなければならないのか?」ということが私の底にあって、素直になれないのである。
コミックソングであればそれでいいのだが、なんだか実は非常に強いメッセージを持っていてそれを読み取ることのできない自分がいやだったのかもしれない。
4.腰まで泥まみれ/中川五郎 1969年12月
初めてきいた歌である。
この「青春のうた」もとうとうここまでマニアックになったのか、と思うのである。
5.さすらいのヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダーズ 1968年11月
関西フォークと呼ばれるものは「苦手」なのである。
それは「おしつけがましい」と感じるところだと思う。
フォークルの歌でもそのようなものは苦手である。
もう少し普遍性があるものは「いいなあ」と思ったのであるが、そうでないものはやっぱり敬遠気味である。
メッセージをコミック風にしてみたりあるいは難しくしみたりしたものは、どうしても敬遠している。
「コミックソング」なんだと割り切ったものや、メッセージをストレートにあらわしたものはついていけるのであるが・・・
そのあたりが多分世代間の違いだと思う。
6.坊や大きくならないで/マイケルズ 1969年2月
この歌は「反戦歌」である。
反戦歌も苦手なのである。
まして反戦歌がヒットするというのは、なんだか腑に落ちないのである。
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