読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

極北クレイマー 海堂尊 -週刊朝日連載・最終回-

2008-12-21 18:36:44 | 読んだ
週刊朝日に連載されていた、海堂尊の「極北クレイマー」が12月26日号で最終回を迎えた。

この物語は、著者得意の医療小説ではあるが今回は地域医療である。

北海道の極北市の市民病院に外科部長として極北大から赴任した今中が主人公である。
といっても今中は「非常勤医」で、ボーナスも出ない。

極北市は極度の財政難であり、なかでも市民病院はとんでもない状態である。
それは財政的なものであり、働く医者、看護士、検査スタッフ、薬局関係、そして事務スタッフのありようでもある。

まあ「貧すれば鈍する」のことわざ、あるいは「金の切れ目が縁の切れ目」というように、お金がなくなると、各種の循環は滞ることになっている。

極北市民病院のありさまは、いま全国ほとんどの公立病院の状態であろう。

そんな極北市民病院を何とか建て直そうとしていろいろな策を講じるのだが、お決まりのごとく、全て裏目にでる。

思うのだが、病院建て直しのコンサルタントに頼むというのは、もっとも愚かな話だと思う。
なぜなら、コンサルタントが立て直したという例を聞かないからである。
それでもコンサルタントに頼むのである、まるでだまされているかのように。

極北市民病院ではたったひとつ救いがあった。
それは産婦人科医の三枝である。
彼は医者の良心のような人である。
しかし、極北市の消防署勤務の男の妻の処置が医療事故とされたこと(これには陰謀のようなものがある)から、三枝も傷つく。

何もかもだめになっていく極北市民病院はとうとう・・・

日本の地域医療、公立病院を問題の核においているが、実はやっぱり医療全体の問題点を描いている物語である。

今の医療を囲む環境の中でもっとも厳しいのは「患者が医者に直してもらうのは当たり前」という考え方であろう。
これはどこの病院でもどんな医者にも求められている。
しかも病気の種類、質、深さなどは関係ない。
そしてメディアは「命の大切さ」だけを訴える。

「命には限りがある」ということ、それがいつどのような形で来るのかはわからないということ、つまり安心とか安全というのは絶対的なものではないことを、我々は知っておかなければならないし、覚悟と諦観を持っていなければ生きてはならないのではないだろうか。

そんなことを思いながらこの物語を読んでいて、いったい最後はどうなるのだろうか?とものすごく興味を持っていた。

それは皆が納得できるようなハッピーな終わり方ではないだろうとか、あるいはやっぱり解決しないで終わるんだろうかとか、いろいろ考えていたのだが、予測とは違う形で終わってしまった。

多分、今の地域医療には「落としどころ」なんてなくて「もがく」しかないんだろう。

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コメント (2)
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